椎名林檎と私 前編

先日の関ジャムの「椎名林檎特集」を見て熱が冷めやらないので、noteを書き始めたのですが、日が回りそうなので、前編にします。本当に、椎名林檎はセンス・スキル・哲学・魂どれを取っても才能と情熱に満ち満ちていて、自分にとって好きなアーティストということであれば、ベスト10に入るか、いやベスト5に入ってもおかしくないくらい好きです。

そもそも自分がここまで音楽をよく聴くようになったきっかけは、椎名林檎と言っても過言ではないです。

つい先日も書いたとおり、中学生の頃からラジオの音楽番組をよく聴いていました。最初に聴き始めたラジオ番組はコテコテの中高生向けのAM音楽番組で、オーソドックスなJ-POPが主流の番組でした。それでテレビや街中で流れるようなJ-POPは一通り聞いてたんですが、何よりごりごりのロックやオサレなFMで流れるダンスミュージックなどは全く知らずに育ったわけです。

そんなコテコテJ-POPをラジオで聞いていたある日、衝撃の曲と出会ったのです。未だにその衝撃は忘れられないです。その衝撃の曲とは、椎名林檎が東京事変を組む前の最後のシングルである「林檎の唄」です。

今調べてみると、リリースは2003年11月25日ということで、なんと正真正銘の中二の頃でした。ダークな(短調)の曲調と何とも言えない切ない歌声が、怖かったんですよね。そして、その怖さに完全に惹きつけられました。聴いてたラジオ番組は毎日パーソナリティが日替わりで登場して、毎日ランキングを発表していくという、ボリューミーなものでしたが、この「林檎の唄」は、かなり尖った曲で決して上位に食い込むわけではないので、週に2回くらい、チラっと流れる程度だったのですが、それでもこの曲が耳について離れないのです。

ただ、その時は、そこで椎名林檎の曲を深堀するほど音楽好きでもなかったので、不思議な曲だという記憶だけが残った感じでした。ちなみにMステなどテレビで流れる「本能」のPVも無意識的に自分の記憶に刻みこまれていたというのに気づいたのはもう少し後の話です。

しばらくして「東京事変」が結成されて、初めて世に出てきた曲が1st Singleの「群青日和」 私の中では「林檎の唄」の椎名林檎が、ゴリゴリのロック曲を引っさげて登場したので、度肝を抜かれた思いです。さらに、2nd Single「遭難」のリリースが2004年10月20日なので、中3の時に、これもラジオ越しで聴いていて、「林檎の唄」のようなダークな曲調に「あなたと遭難していく」みたいな禁断の恋のようなオーラを感じ、そしてイントロのギターのリフの虜になりました。

TSUTAYAデビューが中3というのは異常に遅いのですが、この「遭難」のシングルが、初めて借りたCDです。CDに焼いていつでも聴けるように、と、勇気を振り絞り(?)TSUTAYAに行って、初めて借りたのが、「遭難」って、自分でも結構、変な音楽のハマり方してるな、と今となっては思います。

そこから、いろんなアーティストのCDを借りるようになるのですが、東京事変のアルバムは実は2ndの「大人 (アダルト)」からでした。1stアルバムの「教育」はジャケットの赤い折り鶴が、なんか宗教じみて見えてとても怖く見えたのです。なので、「教育」を借りたのはずっと後になります。

さらに言うと、いろんなCDを借りるようになったので、いよいよ東京事変ではなく、椎名林檎のソロ(時系列的にはより以前のもの)を借りようとTSUTAYAに並んでいるCDジャケットの背表紙を見るのですが、そこに並ぶ文字列は「丸の内サディスティック」であり、「勝訴ストリップ」であり、極めつけは「 加爾基 精液 栗ノ花」です。当時、男子校に通う中3の私にとって、その文字列から漂うオーラがすごい。エロ本やAVに手を伸ばすような、何か悪いことをしているような気持ちになって、急いでYUIのコーナーへ逃げ込みました。

改めて聞き返すと「本能」もなんか聞いちゃいけないようなエロい歌詞になっているし、何ならPVのナース姿も意味わからんし、椎名林檎というアーティストに対して、生理的な怖さと性的なドキドキをずっと抱えていました。

なので、大学生になるまで、もっといえば東京事変が解散するまでは、椎名林檎というアーティストの曲に真正面から向き合うことはできなかったのです。続く。

ざれーご 19

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