椎名林檎と私 後編

前回は椎名林檎の「エロさ」と「怖さ」を垣間見ながら、東京事変を聴いてる最中で終わりました。

東京事変の解散は、2012年2月29日ということは、私は大学の4年生になっていました。アルバムは出るたびに聴いていたし、椎名林檎ソロのアルバムもようやく恥ずかしくなく聴けるようになっていたと思いますが、やはりTSUTAYAでCDを借りるくらいで、ライブに行ったり、CD買ったりするほどのファンではなかったです。。。ただ、この時は久しぶりにショックを受けて、当時のmixiに記事を上げていました。

私は熱狂的なファンではないので、曲が出るたびにチェックはしつつ、コアなアルバム(逆輸入盤とか)は聴けてないですし、音楽の専門的な話はできないのですが。。。ただ、東京事変解散後の「椎名林檎」は結成前の「エロさ」「怖さ」というところから、それらをより先鋭させた「生」というテーマが浮き彫りになってきている、というのが印象です。

2011年のカーネーションで紅白に初出場、2014年のNipponからは毎年出場していますが、年の暮れに毎年椎名林檎のパフォーマンスに見入ってしまいます。特に、2016年の「青春の瞬き」は都庁をバックに人々が行き交う様子を映しながら、曲を歌い上げる、というものでしたが、「生命をほんの少し前借りしたんだ」というフレーズに「大晦日に、また1年たって、私はまだ生きている」ということをフッと考えて、なんかザワザワした記憶があります。

曲で好きなのは、2014年の「Nippon」です。これはワールドカップのテーマ曲でしたが、2020年の東京五輪まで取っておいて欲しかったくらいに、日本のテーマソングとしてぴったりです。というか、この曲以上のテーマ曲が出てくる未来が見えなかった(ところ「パプリカ」が出てくるあたり、やはり音楽は奥深い。。。)

「何よりも混じり気のない気高い青」というのが、右翼的な感じだったり、ということで賛否は両論でしょうが、気高いのが日の丸の「赤」じゃなくて、「青」なところに、何というかめちゃくちゃカッコよさを感じます。(単にユニフォームの色か?)そして、この曲でも「生命が裸になる場所」というフレーズが出てきます。ストレートな「生への衝動」とスポーツの親和性を感じます。

少し話が変わるんですが、某友人がTwitterで「椎名林檎が好きな吉岡里穂論」みたいなのを呟いていましたが、吉岡里穂が好きなのは「ありあまる富」だそうです。ツイート無断引用させていただいていますm(_ _)m。

昨日のMステの吉岡里帆が「ありあまる富」を挙げていることに、あぁこれがこの娘のあざとさの由縁だ、時効警察といい椎名林檎といい、アラサーたちの柔らかなdearestに土足で入ってくる歳下の女よと突き放し、しかしそれは我々の文化資本を何より雄弁に語る鍵であり、テレビの中心がアラサーにシフトし、むろんそこに顔面レバレッジがあったとしても、蓄積された文化資本に素直な自己で在ることがさまざまなopportunity の扉を開き、それがメディアを通じてアラサーたちに外部経済の福音となることをまずは賛美しようではないかとする修正吉岡里帆主義、modified riholism (2019,俺)

このツイートのさらに引用ツイートを見るところによると、椎名林檎のフォロワーは「メンヘラ女」「愛国文脈を換骨奪胎する排外右翼」だそうで、(これも引用元は別の本かと思われます)吉岡里帆は、そういう曲ではなくて「ありあまる富」が好きだ、と宣言することで「そうではないフォロワー」としての椎名林檎ファンに寄り添う、という感じの論旨かと思います。

(吉岡里穂論はそれはそれで面白いんですが、一旦ここでは脇に置いて)、「ありあまる富」が好きな「アラサー」は実は、サイレントマジョリティーであり、アラサーに限らず、この価値の普遍性はどの世代にも通じるものがあるから、椎名林檎は、朝ドラ主題歌をやるし、紅白にも出るし、五輪の音楽プロデュースもやるんだと思うんです。「全体主義」的な方向への推進力であるかもしれないという疑いを忘れないことは重要ですが、それでもやはり手放しで聴いてしまってしまうところが椎名林檎の椎名林檎たる所以ではないかと思います。

やはり、この曲もサビの最後に出てくるんですが「価値は生命に従って付いている」と出てくる。生命は価値の前提、何よりも先に生命=生があるんです。椎名林檎は一貫しています。そして、それを今この時代を生きる私たちは共有しています。

関ジャムでは、「女の子のために曲を書いている、殿方は知らない」と言っていたんですが、本人がそのつもりでも、顕れてくる音楽はそういう次元を悠に超えています。番組の中で、「うまく曲が書けていないときは、下半身で書けていない、子宮で書けていない」とおっしゃっていました。これは、「性」的な表現でありながら、どちらかというと、「魂」とかそういう精神的な次元に近い話をされているように感じました。

純粋に「生きること」の価値について考えると、「エロさ」「怖さ」にたどり着くのはごく自然で、最近の椎名林檎はそれを通り越えて、ダイレクトな「生」の話にまでもっていけてしまっているのだというのが僕の見解です。

コラボ曲では、トータス松本さんや宮本浩次さんと歌ったりしていますが、2人ともとてもパワフルで、技術もあるけどやはり魂で歌うタイプの人たちです。そういう曲をかなり意識的に作られているので、とんでもない策士でもあると思うのですが、それと同時にその計算がバチっとはまる直勘の持ち主でもあると思います。

「獣ゆく細道」を聴きながら、人間としての生きる「本能」について考えながら確信しているのは、私(たち)はこれからも椎名林檎の曲を聴き続けるのだろうとうことです。この(たち)に表れる少し危うい感じがやはり魅力かもしれません。

ざれーご 20


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