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東京都心の均質化を憂う

以前にはこんな記事を書いていて基本的には「東京」という街が好きだというスタンスに変わりはないのですが、とある本を読みながら東京の将来がふと不安になったので文章を書きたいと思いました。

そのきっかけとなった本がこちらです。先日、仕事帰りに書店でこの本を見つけた時は、久しぶりにこのシリーズが出たのか!とワクワクして中身は全く見ずに購入しました。

というのも、この前身となる「東京大改造マップ」のシリーズは2016年頃から毎年発行されていたのですが、2020年を最後に発売されていませんでした。それが数年ぶりに発行となり分量も倍以上の分厚さになって帰ってきたので、それはそれはテンションが上がりました。

この本では、東京都心(最終章のみ横浜・川崎)をいくつかのエリアに分けてそのエリア毎にこの数年で完成した開発プロジェクトや2030年前後までに完成が予定されている開発プロジェクトが紹介されています。章構成はこんな感じです。

第1章 麻布台・虎ノ門・六本木・赤坂
第2章 東京駅周辺・日本橋・八重洲・京橋
第3章 丸の内・内幸町・銀座
第4章 品川・高輪・三田・田町・浜松町
第5章 新宿・中野
第6章 渋谷・代々木・原宿・青山
第7章 お台場・晴海・豊洲・有明
第8章 横浜・川崎

ここ数年の都心の不動産開発の動きについては実際に現地を見たり、メディアや事業者のHP等を見たりと大方は知っているところですが、それでもこのような形でまとまった書籍にまとまったものは少なく、網羅的に把握できるのはとてもありがたいし、楽しみに思っていましたが、冒頭も書いたようにそのワクワク感はページを捲るたびに薄れていきました

第1章の「麻布台ヒルズ」はB棟を残し竣工済み、第2章の「TOKYO TORCH」、第4章の「TAKANAWA GATEWAY CITY」等は着工に入っておりますが、これらの大規模プロジェクトはここ数年の目玉として数ページに渡って紙面が割かれています。

他にも第2章の日本橋の再開発、第3章には帝国ホテルやNTT日比谷ビルなどの建替を含む「TOKYO CROSS PARK」第5章の新宿西南口や西口地区の再開発など同じように大規模プロジェクトを控えているようですが、たくさんのプロジェクトの完成予想図を見ているうちにとある事実に気づきます。

どれもこれも、似たようなコンセプトで似たような見た目の高層ビルじゃないか

・足元に広場や公開空地を設けて緑豊かな空間にする。
・建物内には災害時の一時避難施設にもなるアトリウムを設ける
・鉄道や地下街・デッキと繋げて歩行者の立体的なネットワークを形成する
・国際競争力を高めるためイノベーションを誘発するオフィスを設ける。
・あるいは、ウェルネスを標榜した高級な住宅やホテルを設ける。

etc……

どのプロジェクトにしても突き詰めていくと、こういった話しかしていないことに気づきます。そして事業性を確保することを前提に、こういった機能を盛り込んでいこうとすると、どの建物も紋切型に足元が賑やかで高層はシュッとしたガラス張りのタワーにしかならない、ということは不動産企画をやっていると何となく想像がついてしまいます。

このような建物が増えていく東京の将来の都市像はまさに、近代建築の巨匠であるル・コルビュジエが100年前に提唱した「輝く都市」と近似していると感じています。(余談ですが、その都市像は森ビルの初代社長である森稔氏が目指した都市像でもあります)

明らかに都市機能や居住環境は向上していく方向に進みますが、個人的にはそのように高度化されていく都市にはなぜか「憂い」を感じてしまいます。その「憂い」の正体を少し掘り下げていくと、いくつかの要素がありそうです。

1.均質化によりその土地が持っていた魅力を失いそうだから

勝鬨から新橋〜浜松町方面を臨む

これは以前から語られている論点です。ごちゃごちゃした街の方が魅力的だというのは、現代化が進む1960年のアメリカで既にジェイン・ジェイコブスが論じているところであり、綺麗に整備されきった街は特徴がなくなって、元々あったその土地特有の魅力が失われていきます。

東京都内には現在でも、微地形を生かした段差や暗渠跡のうねった歩道、台地と湿地の間に生まれる高低差、、、といった太古からの歴史の名残が残ったエリアが数多くありますが、大規模開発では建物内でレベル差を解消したり、そもそも整地してしまったりといった形で目には見えない形になってしまうことがあります。名残を逆手にとって、うまく見せるという方法もありますが、何となくデベロッパーサイドの「これをやっておいたら良いだろう」というアリバイのようなものに感じてしまうこともあります。

2.建物が完成した後の道筋やゴールが見えないから

虎ノ門ヒルズだけで4棟の高層ビルが建った

次は開発企画の構造的な観点です。不動産の開発企画において作る”モノ”を「建築」や「ランドスケープ」という単語でくくってみると、それは人々にとって価値ある「場」を生み出す役割を持っていますが、一方で「建物」や「インフラ」という物理的な単語でくくると、やはり物理的な「箱」でしかないというドライな見方ができます。そして、大規模開発プロジェクトでは、その「箱」の中で何が行われていくかということをあまりきちんと描けずに「箱作り」が進められていくことが多いのが現状です。

というのも、大体の不動産開発プロジェクトに共通して言えることですが、企画段階で、オフィスや商業であればそのテナント(企業)が、マンションであればその住人が、決まっていることは少なく、その前提では「建物の使われ方」についてゴールが見えないので、どうしても当たり障りのない「スペック」でしか将来のありようを語ることができません

言い換えると「ゴール不在」の中で作られる建物は、よく言えばフレキシビリティの高いフラットな空間、悪く言えばどうとでも使える特徴のない空間になります

デベロッパーが進める大規模開発はこういった性質をはらんでいるため、構造的に均質化が進んでいくのは当然と言えば当然なのですが、国際競争力などという曖昧な言葉ではなく、具体的な産業やコミュニティ(住民像)にフォーカスして開発企画が進められればもう少し、プロジェクトごとの特色が出た建物になっていくと思います。

3.そんなにたくさん床を作ってどうするんだという根本的な疑問

高輪ゲートウェイ前の工事現場

最後に取り上げるのはそもそも論の話です。高度経済成長期〜バブル期あたりにたくさん作ったビルやマンションの老朽化が進むなかで、その建替を進めないといけない、という議論はわかるのですが、人口減少が進む日本社会において、その建替で「さらに容積率を増やしてまで大きな建物を作らないといけない」ということがなかなか理屈として説明が難しいというのが直感的な私の感覚です。

結局、東京にばかり床を作って人を呼んでも一極集中が進むのは自明ですし、都市間(東京都心であればエリア間)の競争が進むだけです。資本主義の中で(主に株主から)デベロッパー側も収益拡大を強いられているというのはわかりますが、建設業界の人手不足や資材高騰が叫ばれている中で、これ以上建物をたくさん作ってもジリ貧な感じがします

そのうちあらゆる不動産が値崩れを起こして、またバブルが崩壊するという悲観的な見方も出来そうですが、その時には新しく建てたものはひとまずは生き残り、築古で特徴のない中小規模のビルから順に取り壊していくことになるでしょう。

さらにその後はどうなるでしょうか。やはり収益拡大のため、都市の活性化という麻薬を求めて大規模な再開発が行われるのか、それともその体力(纏めたり建て替えたり)も残っておらずビルは放置され続けるのか、、、もっと悲観的に想像力を飛ばすと均質化された超大型の複合ビルと廃墟群が入り混じる都市になっていくかもしれませんし、楽観的にいうとそのフェーズになると均質的な都市からまた多様性のある都市に転換していくのかもしれません。

なぜ、こんなにネガティブな思考回路になっているのかわかりませんし、この頭の中の考え方をまとめて対案を出すようなほど頭がクリアにもなっていませんが、何となく「憂い」を感じたので、文に認めてみました。

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