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Vol.10 三菱と海外ラリー その2 ランサー1600GSR

※本記事は『Vol.9 三菱と海外ラリー その1』の続きです。

ラリーの雄、ランサーの登場


 1973年に初代ランサーが登場します。コルトギャランのエンジンをランサーの軽量コンパクトな車体に搭載した高性能グレード1600GSRが新たなラリーベース車に選ばれ、73年のサザンクロスラリーでは1~4位を独占しました(1位はアンドリュー・コーワン)。

https://www.mitsubishi-motors.com/jp/innovation/stories/motorsports1/index.html?intcid2=innovation-stories-motorsports1
73年のランサー1600GSRラリー仕様

 そして三菱は73年から始まった世界ラリー選手権、WRCの制覇を目指すようになります。その第一歩として選ばれたのがサファリラリーでした。73年のサファリラリーにはデータ収集を目的としてギャラン16L GSで参戦し、この時のドライバーはケニア在住のジョギンダ・シンでした。しかし翌74年、第一次オイルショックの影響から三菱はワークスとしてのサファリラリー参戦中止を余儀なくされる事となります。シンは諦めずにランサーを自費購入し、三菱本部は現地にラリー用の部品を送る形でプライベーター参戦する事となりました。万全な体制ではなかった中、シンの力走の甲斐あって、なんとランサー1600GSRはサファリラリー総合優勝を果たしました。

https://web.motormagazine.co.jp/_ct/17235374
74年のサファリラリーでシンがドライブするランサー


 その後もランサーは様々なラリーに参戦し、74~76年のサザンクロスラリーではコーワンが1位を、76年のサファリラリーではランチア・ストラトスを抑えて1~3位を独占しました(1位はシン)。また日本人の篠塚建次郎氏が74年のサザンクロスラリーから海外ラリーデビューしました(この時のコドライバーは木全巖氏)。そして76年のサファリラリーで6位入賞を果たし、77年にコートジボワールで開催されたバンダマラリーではプジョー405を抑えコーワンが1位、シンが2位を獲得しました。この年を以てランサーは活動を終了します。耐久ラリーでは華々しい成績を誇っていた一方で、ヨーロッパのスプリントラリーでは目立った成績は残せていませんでした。そしてヨーロッパでの勝利が三菱の新たなる課題となりました。

vol.11に続く

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