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Vol.11 三菱と海外ラリー その3 スタリオン4WD

※本記事は『Vol.10 三菱と海外ラリー その2 ランサー1600GSR』の続きです。

ラリーの新常識「4WD」


 77年の初代ランサー活動終了から月日が流れた1981年。三菱は2代目ランサーのランサーEXターボ(通称:ランタボ)を引っ提げてWRCの舞台へと帰って来ました。この時チームラリーアートとしてアクロポリスラリーに参戦しました。2000㏄のG63Bエンジンにターボを装着したモデル「ランサーEX2000」でホモロゲーションを取得し、当時WRCトップカテゴリーであったグループ4に参戦しました。尚、この2000㏄モデルは欧州でのみ発売され、一方の日本では1800㏄のG62Bエンジン(4G62)にターボを装着したモデルが競技用ベースとして発売され、国内ラリーを席巻したのです。WRCに参戦したランサーEXは82年の1000湖ラリーで総合3位を獲得しました。

https://www.mitsubishi-motors.com/jp/innovation/motorsports/wrc/1981-1987/ ランサーEXターボ WRC仕様

 一方で当時既にフルタイム4WDシステムを搭載したアウディ・クワトロがWRCを席巻しており、また82年にはグループB規定が試験的に導入され、ラリー専用設計のMR車であるランチア・ラリー037が参戦を開始しました。そして翌83年にはグループBが全面施行される事が決定していました。FR車だったランサーではこれらのマシンに対抗する事が困難であるという判断から、三菱はグループBを戦う為の新たなマシンの開発に移行します。

https://www.motorsportmagazine.com/articles/rally/great-rally-cars-1982-audi-quattro/?v=24d22e03afb2
悪路では敵なしだったアウディ・クワトロ  
https://supercarnostalgia.com/blog/lancia-037-rally-82
ラリーで勝つ為に生まれたスーパーマシン、ランチア・ラリー037

スタリオン4WD

 三菱の次なるラリーベース車として選ばれたのはスタリオンでした。スタリオンはG63Bエンジンがベースのシリウスダッシュ3×2エンジンを縦置きに搭載したFRスポーツカーです。尚、このエンジンは国産市販車のターボエンジンの中で最初にインタークーラーを装着したと言われております。

https://web.motormagazine.co.jp/_ct/17301780
三菱スタリオン ターボ

 木全巌氏指揮の下、このスタリオンを4WD化する計画が進められました。4WD化にあたり、パートタイム4WDにするかフルタイム4WDにするかという議論がありました。ラリーアート・ヨーロッパから舗装路においては2WD(FR)が有利である事からパートタイム4WDが良いという意見も有りましたが、最終的にフルタイム4WDが採用されました。ベンチマークとしていたアウディ・クワトロよりも優れたコーナリングを実現すべく、センターデフにはビスカスカップリングを採用する事となりました。木全氏は当時ビスカスカップリングの実用化に成功していた農業トラクターの製造会社マッセイ・ファーガソンに協力を依頼しました。シリコンオイルの粘性や量のデータを一から取り、最終的にトラクター用のビスカスカップリングをトランスファー内に収められる程の小型化に成功しました。そしてこのビスカスカップリングにLSDを組み合わせる事で前後のトルク配分を行っていました。 
 83年に試作車両T1、T2、R1、R2の4台が製作され(T=テスト、R=ラリーの意)、R1はヨーロッパで、R2は国内でのテストに使用されました。エンジンはシリウスダッシュ3×2エンジンをベースにチューニングされ、開発モデルでは排気量を2140㏄とし400馬力以上の出力を目標としていましたが、耐久性の観点から370馬力となりました。車重はT1が1140㎏、R1が1072㎏でしたがその後の改良により最終的に960㎏となりました。また外観はフロントオーバーハングが切り詰められ、リトラクタブルライトが廃止され丸灯ライトになり、リアにはオイルクーラーを内蔵したウイングが装着されました。

https://www.automesseweb.jp/2021/06/29/701104

 1983年の東京モーターショーでスタリオン4WDの姿が発表され、翌84年の秋に実戦投入される予定でした。しかし開発スケジュールの遅延によるホモロゲ取得の遅延、グループBの規定変更、マーケティング上の問題、そして過激化したグループBの競争で戦う事が困難であるといった様々な理由により1984年にスタリオン4WDの市販車販売は中止されました。これはスタリオン4WDのグループB参戦中止を意味しました。その後86年にはWRCのグループB廃止が決定されました。スタリオン4WDは戦いの場を失ってしまったのでした。
 しかしグループBの参戦中止決定後もスタリオン4WDは走り続け、技術開発が進められていきました。ホモロゲ取得無しで参加可能なプロトタイプクラスのラリーに積極的に参加し、84年のミル・ピストラリーではクラス優勝、86年には香港-北京ラリーで2位を獲得しました。この時得られたデータ・ノウハウは後の三菱に大きな影響をもたらす事となります。

https://www.automesseweb.jp/2021/06/29/701104
香港-北京ラリーでのスタリオン4WD

 以上で三菱の海外ラリー活動に関する記事は一旦終了です。これ以降のギャランVR-4やランサーエボリューションのラリーに関する記事は期間を空けて作っていく予定です。ご覧頂き有難う御座いました。

【余談】
 私がスタリオン4WDという車に興味を持ち始めたの映画『SS-エスエス‐』からでした(2008年公開)。自動車整備士の大佛(通称:ダイブツ)は学生時代ラリードライバーでしたが、ある事故をきっかけにラリーの舞台から離れてしまいました。時が流れ中年となったダイブツは勤め先の整備工場に放置されていたスタリオン4WDをボーナスの現物支給として入手し、かつてのラリーに対する未練を晴らすかの如く箱根の峠を攻めるようになります。突如峠に現れたその謎のマシン、謎のドライバーは峠の走り屋達の間で噂になっていく、というお話です。漫画が原作となっており、そちらも全巻買いました。また以前紹介したレースゲーム、街道バトルシリーズの全作品にダイブツのパロディキャラクターとスタリオン4WDが登場します。シリーズ最終作『KAIDO-峠の伝説-』に至ってはダイブツ以外の走り屋3人もパロディされてす。

映画版『SS』
漫画『SS』
街道バトル(1作目)より
SSの中年
元ネタとは若干設定が異なります
KAIDO 峠の伝説でのパロディ
こちらはラリードライバーだったという設定に変わっており、元ネタに寄ってきてます。

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