見出し画像

カモシダさんと私の話

カモシダさんという人がいた。

もちろん仮名。

カモシダさんは私の人生において、「尊敬する人は誰ですか」と聞かれたらおそらく三本の指に入る人である。

カモシダさんとどうやって出会ったかは、なんと覚えていない(尊敬するとか言っておきながら)。大事な人との出会いって、だいたいそんなものである。聖子ちゃんみたいにビビッとくる出会いなんてそうそうない。

カモシダさんとは、私がまだピッチピチの10代の頃に出会った。
その頃彼はおそらく50代後半だったと思う。
私が地元に新しくできた店のバイトに応募したところ、そこの立ち上げに関わっていたのがカモシダさんだった。カモシダさんは自分でNPO法人を設立していて、そのお店以外にも色々なことを突然おっぱじめる人だった。世の中のことを知らない10代の私にとっては、どんなルートでどんな資金でこんなに色々やってんだろう、と当時不思議に思っていたぐらいである。

カモシダさんは、知り合ってからというもの何かを始める時に必ず私に声をかけてくれて、他人の期待に応えたい部部長の私はたいていそれに乗っかっていた。
私に声をかける理由を彼はいつも「小さくてかわいいからに決まってるでしょ~♪」と言っていた。
そう、ここまで読んでくださった方は、カモシダさんのことを、もしかしたら頭とカネの力で起業しまくるスタイリッシュで顔面偏差値80のイケオジだと思ってしまっていたかもしれないが、違うのだ。
カモシダさんは、見た目は普通、タバコと酒と美女を愛するただのオッサンなのである。

カモシダさんにはまぁここには書けないような下ネタをよく聞かされていたし、「抱きしめたくなっちゃうなぁ~」などとよく言われていたが、不思議と危険な感じはしなかった。し、実際に何かされたことは一度もない。
それでも純情可憐だった当時の私は、はじめはカモシダさんのことをただのあぶない変態オヤジだと思っていた。でも、なんか、カモシダさんの周りには私の大好きな綺麗なお姉さん達がいるし、彼女たちは「カモシダさんはすごく面倒見いいから、わたしもよく相談に乗ってもらってるんだよね~」となどと言っていた。そう、カモシダさんもまた、謎に美女に愛されているのである。

そういう安心感も手伝って、私は結局店の手伝いをそのうち抜けて、その次はカモシダさんと一緒に謎の塾の立ち上げをしていた。
塾のコンセプトは、とにかく低価格で誰でも通える貧困家庭向けの塾。今考えると、そういう子どもたちの居場所も兼ねていたんだろうなと思う。当然、収益が見込めないので人件費もそんなにかけられない。それでも何人か雇ってはいたものの、私はもはやボランティアくらいの賃金で子どもたちの先生としても関わることとなった。

私もそこそこ面倒な家庭で育ったものの、世の中には本当にいろんな家庭がある。
かなり過激な思想を持っていて集会に参加しているような子もいれば、契約したはずなのに保護者が一切お金を払ってくれない家もあった。
でも、そんな子どもに対しても、「まぁお前の主張も分かるけどなぁ、俺はこう思うぞ」とか「お母さんにはこっちでなんとか言っとくから、とりあえずまた来いよ」とにこにこしながら言ってあげるのがカモシダさんだった。
私も、暴れ馬な子どもたちに翻弄されながらも、少しでも居場所になったらいいなとせっせと通っていた。

世の中それだけじゃまかり通らないことは、この歳になればよく分かるし、当時の私も(カモシダさんまじで大丈夫なのか!?奥さんに怒られないんか!??)と心配に思っていた。それでも何となく続けていたのは、子どもたちが可愛かったのと、カモシダさんのやることが、これまで見てきた大人と違って面白いなと思っていたからだと思う。

しかし、ひとつの場所で働けば働くほど、この教材がないと難しいなとか、この子はもっとちゃんとした療育に繋げた方がいいんじゃないかとか、思うところも増えてくる。

しかし、そうは言ってもおカネも潤沢にあるわけでなく、ご家庭ともなかなか連絡がとれない状況では、できることも少ない。当時頭も固くて未熟だった私は「もっとこうだったら、いいケアができるのに」という思いを募らせるのである。

そういうことを訴えると、カモシダさんは私を飲み屋に連れて行っては、
「あんまりまじめに考えんな。俺たちは俺たちのできることをするしかねぇんだからさ」
「弘法筆を選ばずって言ってな、あるもんで何とか考えんのが、本当に優秀な奴なんだよ。お前にはそれができると思うんだよなぁ」
と諭すのであった。
そして、私がその言葉に何か返そうと考えているうちにはもう、飲み屋の店員さんを捕まえては下ネタを言っている。そういうおじさんであった。

私は、それを当時はおカネがないから適当にあしらっているんだと思っていて、腹を立てたりもしたものだった。(まぁ、実際それもあったのかもしれないし、いいように使われていたのかもしれない)
でも、今思うと、カモシダさんが言っていたことは至極真っ当なこの世の真理で、どんなにおカネがあったって、足りないものは出てくるし、何かのせいにするのはとても簡単だ。
ちゃんとした(?)職場にいたって、何か環境を動かそうと思ったところでそう簡単に動くもんじゃないということは、社会人になってから痛いほど思い知った。
じゃぁ、どうするのと言ったら、できない理由を並べるんじゃなくて、できることを探す。療育に繋げられないなら、まずそれに似たことをここで取り入れる。

そもそも、そんなことよりも何よりも、その子たちを人間として受け入れてあげることが何より大事だろってことを、カモシダさんは言いたかったのかなと思う。
今ならめちゃくちゃ分かる。
小娘だった私もまた、カモシダさんにそうして否定されず人間として受け入れられ、育てられていたのだ。

もっと早く気づいてお礼が言いたかったなと思う。

カモシダさんは、私が大学を出て働き始め、何年かした頃に亡くなった。
働き始めてからは忙しさもあって会うことも叶わない日が続いていて、訃報を受けたときは、これまでに経験したことがない程気持ちが揺れた。

肺癌だったが、最後までタバコを辞めなかったそうだ。
お葬式には会場に入りきれないくらい人が来ていて、やっぱり美女もたくさん参列していた。
その頃には既に、私は育てられていたんだなということには気づいていたから、お別れするときにちゃんと伝えはしたけれど、もっと早く伝えたかったと涙と鼻水でどうしようもなかったのを覚えている。
そして、棺の傍を去るときに会場のケーブルに躓いてズッコケた。
神妙な空気の中で笑いが起こり、マジで不謹慎極まりない人である。
でも、カモシダさんはたぶん天国で笑ってたと思う。
「おいおい、俺の最後くらいカッコよく閉めさせろよ~」
つって。
そういう人だ。

私はカモシダさんみたいな大人になりたいと今も思っている。
適当で、酒とタバコと美女を愛し、どんな人に対してもフラットに受け止める。

いやー無理だな。

でも、少なくても、今の自分の立場でできることを探そうとか、足りないもんが出てきたらそん時考えようぜ、とりあえず動いてみなきゃ始まらねぇ!というあり方は、私の生き方にすごく影響を与えていると思う。

そして、実際にカモシダさんの生き方を間近で見られたことは、今の私の「直感で面白い方に賭けてみる」という生き方の礎になっている。


私が思い描く理想のイケオジとは見た目は全然違うけど、憧れの人だ。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?