「とりとめのないことを考える」-ザコ無職日記3-
あまりにも暑いので、外出する気にならない。
家で、ダラダラすごす。
テレビをつけると、甲子園の中継が始まった。
四球かと思ったらストライクの判定。
審判の立場に立つと、私はいたたまれない気持ちになった。
「しまった。今のはボールだったかもしれない」
と思い続けてしまうんだろうか。
私なら、少なくともその試合中は立ち直れなくなる。
それとも、一流の審判ならば気持ちを切り替えられるものだろうか。
多くの会社員も、甲子園の大事な1球ほどではないにせよ、「間違えてはいけない」状況で仕事をしている。
そんなプレッシャーに耐えられないのだから、私には仕事そのものへの適性がないのかもしれない。
甲子園はそのまま流しつつ、保坂和志の『未明の闘争』を読み始めた。
小説はできれば一息に読んだ方がいいのだろうが、気力がないので少しずつ読んでいるのだ。
上巻があと30ページのところまで来ていたので、読み切った。
小説家になることはないのだろうと諦めつつも、「ひょっとしたらなるかもしれない」と思っている自分もいる。
小説を読んでいる間に「小説家にならないだろうけれど、なるかもしれない」というとりとめのないことを考えるような人間は、組織で働かない方がいい。
とりとめのないことは、ビジネスでは最悪の「具体的ではないこと」だからだ。
大学を出て、証券会社に勤め始めた時、行きの電車で江國香織を読んでいたら、まったく営業する気が起きなかった。
私は、「会社で働くなら、小説を読むのはやめよう」と思った。
無職は、小説を読んだ方がいい。
とりとめのないことを考えるのは、お金もかからないし、何よりも楽しい。
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