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20030408 八ツ橋

 日本には人の名前が付いた料理がない$${^{*1}}$$のではないか、と書いた。

 京都の銘菓「八ツ橋$${^{*2}}$$」はどうであろう。その名前の由来を読んでみると人名が由来$${^{*3}}$$になっている。その人名とは「八橋検校(やつはしけんぎょう)$${^{*4}}$$」である。八橋検校と言えば琴による曲の「六段の調(しらべ)$${^{*5}}$$」が有名である。和風レストランやホテルのロビーなどへ行くと聴くことが出来る。

 八ツ橋の形は琴の形に似ている$${^{*6}}$$ので、琴の名人である八橋検校に因んでその菓子の名前にした$${^{*7}}$$らしい。もう一つの「八ツ橋」の製造業者は八橋検校がその菓子の考案者である$${^{*8}}$$と伝えられていると主張している。最近は生の八ツ橋や餡入りの八ツ橋$${^{*9}}$$の方が有名になっているが、本来の由来のもとは煎餅の八橋である。

 しかしこの八ツ橋の箱$${^{*6}}$$を見ると、本当に八ツ橋の由来が「八橋検校」なのか、と思いたくなる。箱に描かれているのは「カキツバタ$${^{*10}}$$」である。それに真ん中には白い板橋が描かれている。

 これは三河八橋$${^{*11}}$$の絵ではないか。三河八橋とは現在の愛知県知立市八橋町$${^{*12}}$$のことである。在原業平の伊勢物語$${^{*13}}$$で登場する。逢妻男(あいづまお)川の流れが常に変化していたため流域に出来た州と州との間に小さな橋が何本か架けられていたらしい。古くからカキツバタの名所$${^{*14}}$$として知られていた。だが、戦国時代の頃には八つ橋とカキツバタは跡形もなくなっていたようである。伊勢物語の頃の八つ橋$${^{*15}}$$がどこだったのかははっきりしていないが、現在は無量寿寺近辺$${^{*16}}$$にはいくつかの旧跡$${^{*17}}$$がある。

 私はこの「三河八橋」が京都の菓子の「八ツ橋」の由来と聞いていた。京都の菓子の名前の由来が在原業平$${^{*18}}$$や伊勢物語というのは何ら違和感がなかった。しかも板橋の形は菓子の形に似ている。

 しかし「八橋検校」という人名がそのまま由来となれば別である。人の名前が菓子の名前になるのはどうも違和感がある。人名が由来の菓子は有名になり得るのだろうか。有名になったあとから由来を考えたかも知れない。本当の由来は何だろう。

*1 20030407 人の名前が付いた食べ物
*2 文化二年創業八ッ橋乃司 井筒八ッ橋本舗
*3 HISTORY-八橋検校と井筒八ツ橋
*4 八橋検校(やつはしけんぎょう)
*5 オンライン音楽室 箏曲「六段の調」
*6 聖護院八ツ橋
*7 聖護院八ツ橋総本店おいたち
*8 HISTORY-八橋検校と井筒八ツ橋
*9 聖護院八ツ橋 商品案内
*10 20000613 皐月と躑躅
*11 三河八橋の伊勢物語旧跡案内
*12 愛知県知立市八橋町付近
*13 NWU Gazou DB Index 伊 勢 物 語 の 世 界
*14 ようこそ 伊勢物語ワールドへ 伊勢物語の四季
*15 愛知の郷土史,愛知の偉人 八橋伝説地
*16 六條河原院 三河八橋カキツバタ紀行(1)-八橋無量寿寺
*17 愛知の郷土史,愛知の偉人 カキツバタと無量壽寺(むりょうじゅじ)
*18 人物画像データベース 在原業平

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