見出し画像

20020110 細君

 半死半生語集$${^{*1}}$$という本をパラパラとめくっていたら「妻君」と題された文章が出てきた。自分の妻の謙称であったり他人の妻ことを指す「細君$${^{*2}}$$」のことであった。

 言葉を扱った内容なのにこういう書き間違いをするとはどう言うことか、と思って調べてみたら「妻君」とも書くらしい。自分の方が間違っていた。「細君」の「細」は貧しいとか卑しいという意味があるので、こう書いた時は自分の妻の謙称で、「妻君」の時は同輩以下の他人の妻をいう言葉とする説もある。「細君」が他人の妻のことを指すようになったのは誤用かららしい。

 言葉というのはどれが正しくてどれが間違っいるというのは判別出来ないかも知れない。言葉は意思の伝達手段であるので、正しいか誤っているかを判断するのであればうまく伝達出来るかどうかだけだろう。本来「細君」が正しい表記でそれが「妻君」と書いても通じるようになればそれも正しくなる。

 言葉はある程度勉強しないと使えない。大抵の人は勉強があまり好きではないので、多くの人の勉強不足によって言葉がどんどん変化していく。だからこれが正しいとは必ずしも言えない。独擅場(どくせんじょう)$${^{*3}}$$や邀撃(ようげき)$${^{*4}}$$が独壇場(どくだんじょう)、迎撃(げいげき)になってきたのも間違いや安易な書き換えで変化してきた言葉である。

 言葉が変化するのは仕方がない。ただそれぞれの言葉で独自の変化をするのは例外がどんどん増えてくることになる。単語や熟語などを覚えるのには限りがあるので例外が増えると、今度は使う単語数を少なくしようという方向に傾いてしまう。これでは文化が衰退する一方である。物事の原則を見抜いて、それに従った変化をさせていかないと駄目である。本質ではなく表層だけ取り入れることが昔から得意な日本人$${^{*5}}$$はこういうことは難しいかも知れない。

 本来間違った言葉がいつから正しくなったとすればいいだろうか。辞書に掲載された頃からだろうか。辞書が言葉を生むというのも何か変である。

*1 学生社<随筆・伝記・その他>
*2 さいくんとは - さいくんの読み方 Weblio辞書
*3 独擅場とは - さいくんの読み方 Weblio辞書
*4 邀撃とは - さいくんの読み方 Weblio辞書
*5 19991209 ケーキと饅頭

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?