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20010404 電流と電子

 電気には正と負の2種類があることが知られている。1733年にフランスの科学者デュ・フェイ$${^{*1}}$$が言い出した。それまでは電気にどんな種類があるか判らなかったわけである。というより電気に種類があることなど判らなかったのだろう。電気という物は、例えば琥珀$${^{*2}}$$を毛皮で擦ったときに琥珀が埃などを引きつけたり飛ばしたりする現象が電気と思われていた。

 この現象は摩擦によって「電気の素」が発生し、それが物を引きつける能力を発現すると考えられた。この「電気の素」が何種類あるかはどのようにも考えることが出来たはずだが、デュ・フェイは様々な物質の摩擦電気$${^{*3}}$$の引力や斥力の関係から、「電気の素」は二種類あるとし、ガラスを擦って発生するものを「ガラス電気」、琥珀を擦って発生する電気を「樹脂電気」とした。これらは接触によって物質間を移動すると考えられた。

 これに対して雷の実験や避雷針$${^{*4}}$$の発明で有名なアメリカのフランクリンは、「電気の素」は一種類と考えた。摩擦によって「電気の素」が移動することで二種類の状態が発現するとした。ここからが重要で、フランクリンは「ガラス電気」の状態を「電気の素」が過剰となった状態、即ち「正」として、「樹脂電気」の状態を電気の素が不足となった状態、即ち「負」と決めた。

 「電気の素」が流れる現象を電流と呼んだ。電流は過剰となった正の状態から負の状態へ流れて電気の過不足状態が中和されると考えると実際の現象と一致した。この考え方が非常に合理的であるため、フランクリン式の「正負(プラスマイナス)」が定着した。

 1889年トムソン$${^{*5}}$$によって電気伝導の担い手である電子が放電管の中で発見された。放電管の電極から放射される未知の放射線が電気を持つ粒子であることを突き止めたのである。放電管の中の放射線に正電極を近づけると放射線が近づき、負電極を近づけると放射線は遠ざかるので電気を持った粒子は「負」の電気を持つことが判った。つまり電流の担い手である電子はフランクリン式でいえば「負(マイナス)」ということになった。

 「電気の素」である電子の電気が「正」ではなく「負」のままになったのはフランクリン式が科学の世界で定着しすぎたためだろうか。これによって電流の方向と電子の流れる方向は逆となった。元はと言えばフランクリンがガラスに帯電する「ガラス電気」を「正」としたためにこういう事になった。

 それにしてもフランクリンは何故「ガラス電気」を「正」としたのだろう。硬貨を投げて決めたかどうかは定かではない$${^{*6}}$$。たまたまそう決めてしまったのだろうか。

 実はこう決めたのは当然なのである。電気electricの語源はギリシャ語で琥珀を意味するelektrikからである。イギリスの物理学者ギルバート$${^{*7}}$$が16世紀に琥珀を擦ると物が引きつけられる現象をelektrikと呼んだのが最初だった。 
 フランクリンはこの「電気」の由来を知っていた筈である。知っていたので、電気の出発点である琥珀を毛皮で擦ると「電気の素」が毛皮に移動して「樹脂電気」の状態になるのを「負」としたのである。電気の起源である琥珀を毛皮で擦ることで抜け出る「物」を「電気の素」とするのは当然である。そして一種類しかないと仮定した「電気の素」の正負を考える必要はなかった。

 以上から「電気の素」が抜け出た状態になった「樹脂電気」を「負」、「電気の素」が入り込んだ状態になった「ガラス電気」を「正」としたわけである。電流の方向と電子の流れが逆になってしまったのは電気発見の起源が琥珀だったことに由来している。

*1 Internet Archive 電気の歴史
*2 琥珀堂
*3 秋田県本荘市立南中学校 平成3年度「摩 擦 電 気 の 研 究」
*4 日経サイエンス1997年10月号 レーザーで雷撃制御
*5 J.J.トムソン
*6 The Exploration of the Earth's Magnetosphere The Direction Assigned to Electric Currents
*7 William Gilbert

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