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20030901 郡(3)

 愛知県にある稲武(いなぶ)町$${^{*1}}$$は所属する郡を変更するらしい。北設楽(きたしたら)郡から東加茂(ひがしかも)郡にするようだ。現在、郡は行政区画としての機能は全くない$${^{*2}}$$。かつては郡制度$${^{*3}}$$が機能していた時代はあったが、今は住所だけに残っている区画である。行政区画の遺構$${^{*4}}$$みたいなものだ。

 稲橋村と武節(ぶせつ)村が合併して稲武町が出来た$${^{*5}}$$。稲橋村、武節村ともに三河国加茂郡であったのが、江戸時代前期から三河国設楽郡となって現在に至っている。武節村は江戸時代には武節町(ぶせつまち)村という名前だった。

 変更のきっかけは北設楽郡の町村よりも東加茂郡の町村との付き合いが深い$${^{*6}}$$ということからのようだ。この「郡所属」の変更によって何が変わる$${^{*7}}$$のだろうか。住所表記が「北設楽郡稲武町」から「東加茂郡稲武町」に変わるだけである。どの郡に所属するかで変わることは殆どなく、変わったとしても実質的な意味がない事柄だけ$${^{*8}}$$だ。住民にとって利益になることは全くなさそうである。

 一体何のために郡所属を変えようとしているのかよく分からない。それに稲武町は市町村合併で新しい市を作ろうといる$${^{*9}}$$のである。新しい「市」が出来れば「郡」は関係なくなる。市町村合併は同じ「郡」の中でしか議論できないわけではない$${^{*10}}$$。北設楽郡だろうが東加茂郡だろうが隣接する市町村が協議すればいい。県境を越えた市町村合併$${^{*11}}$$もあるのである。県は郡と違って実体のある行政区画だ。

 「郡」の変更について本当に住民から心底の要請があったのだろうか。加茂郡から設楽郡に変わってから三百年が経過しているのに何を今更といった感じである。「郡」変更関係者にとっては変更したという事実のみが重要なのであろう。もっと他にやることが沢山あるはずだ。

*1 稲武町ホームページ
*2 20020106 郡
*3 LA HEJMPAGHO DE ISSIE 郡の変遷
*4 遺構探訪
*5 ■稲武町の町名の由来■
*6 稲武町ホームページ 位置・町章・町民憲章・概況
*7 ■東加茂郡編入に伴う住所表示変更の手続きのご案内■
*8 20020124 郡(2)
*9 市町村合併コーナー
*10 なぜ今 郡区域変更なのか?
*11 Mainichi INTERACTIVE 合併と自治 平成初の越県法定協 04年合併へ本格協議 長野・山口村と岐阜・中津川市

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