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20050816 勝ち負け

 耳障りな言葉に「勝ち組」「負け組」$${^{*1}}$$というのがある。運動会でもないのに勝った負けたと表現し、更に「組」を付ける。何かというとすぐに群れたがる。稚拙な感じがする。

 そもそもこの言葉はどこから来たのか。1991年頃のバブル経済崩壊$${^{*2}}$$以降、様々な業界内で万年黒字の企業と万年赤字の企業とが明確に分かれているのを表現したのではないか。これならば確かに「組」と言っても差し支えがない。しかし昨今の「勝ち組」「負け組」は、人生や生活様式に対しての表現が多い。人生における勝ち負けとは一体何なのか。個人資産の多寡だろうか。年収だろうか。こういった金額であれば平均よりも上か下かで大抵は判断できる。平均よりもはるかに上ならば、敢えて言うと「勝ち組」だろう。それにしてもだから何だと言いたくなる。個人資産ならば、マイクロソフト社のビル・ゲイツ$${^{*3}}$$に言わせれば「ウププッ、ボク以外、人類みな負け組じゃん$${^{*4}}$$」となる。

 他人と競うために人生を送っているのではない。競うことは一生を過ごす上での糧となり得るが、それは必ずしも目的ではない。人生の目的は何か他のものである場合が殆どだ。とはいえそれぞれの一生の内にそれに気付くかどうかは別である。何れにしても「勝ち組」「負け組」というのは、あたかもそれが目的のような表現である。根本からして稚拙なのである。

*1 「勝ち組」「負け組」 どう思う? : 生活フォーラム : 大手小町 : YOMIURI ON-LINE(読売新聞)
*2 日経平均プロフィール
*3 Bill Gates' Web Site - Home Page
*4 20000317 ビル・ゲイツ

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