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20010721 初茸がり

 つげ義春$${^{*1}}$$の漫画に「初茸がり」という作品$${^{*2}}$$がある。

 外ではザーザーと雨が降っている。丸刈り頭の正太少年は家の窓から遠くの山を眺めている。「正太、あしたは初茸がりに行こう」とおじいさんが声を掛ける。正太は一雨毎に初茸が大きくなることをおじいさんから教えて貰う。明日の初茸がりが楽しみで仕方がない。

 その夜、正太は明日のことで頭が一杯でなかなか寝付けない。既におじいさんはぐっすりと眠っている。布団の中で目を覚ましている正太には家にある大きな柱時計の振り子の音だけが聞こえてくる。正太はこの振り子の音が気になり出し「どうしてこんな大きな時計があるのだろう」と考える。隣に寝ているおじいさんに聞こうとしても鼻提灯$${^{*3}}$$を出して寝入っているので起きてくれない。

 次の朝、おじいさんが起きると正太がいない。家の中を探しているおじいさんは、大きな柱時計の中でグーグーと寝息を立てながら寝ている正太に気付かない。

 この作品は私にとって非常に印象深い作品で、自分の幼少期の感覚がそのまま漫画になっている。初茸$${^{*4}}$$がりには行ったことがないが、遠足やお祭りの前日などに興奮してなかなか眠れなくなり、ふと気付くと自分だけが闇の世界に取り残されているような気持ちになって、だんだん怖くなってくる経験は何度もあった。それを打ち消そうとしてか、別のことが気になり出す。布団の中からの視界にある普段は気にならなかった家の備品が気になってくる。どうして家にはこんなに大きな鏡があるのか。鴨居に飾ってある古いお面は何故あるのか。

 子供の「ものの存在理由の問い掛け」は今考えると自分自身の存在理由の問いかけのような気がしてならない。自分はどこから来たのか。そしてどこへ行くのか。何故、自分はここにいるのか。生死とは何か。子供ながらにこんなことを考えているのではないかと思う。始終考えているのではなく自分が一人になったと思った時に考えるのだろう。特に眠る時、母親などが先に眠ってしまった時がそうである。眠りは実世界から離れ、何かしら「無」の世界に入り込むような感覚であった。これは目をつむれば闇になり自分自身も見えないので、世界全体を無と捉えてしまうのだろうか。もしかしたら赤ん坊が寝入る直前にむずかるのは、実世界から取り残される自分を認識しだした証拠なのかも知れない。

 つげ義春$${^{*5}}$$の「初茸がり」はこんな子供の頃の感覚を思い出させてくれる作品である。

*1 つげ義春
*2 つげ忠男劇場「つげ義春」 つげ忠男はつげ義春の実弟
*3 19990915 亀の鼻提灯
*4 初茸(ハツタケ)
*5 つげ義春近影

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