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20040612 やさしさの真実(3)

 その商品を作るのにどれだけのエネルギーを使ったのか$${^{*1}}$$。例えば太陽電池の寿命が尽きるまでに発電する電気の量が、太陽電池を作る時に掛かった電気の量よりも少なければ何ら意味がない。

 ところが太陽電池を作るのに掛かったエネルギーを厳密に計算$${^{*2}}$$しようとするとどこまで計算すればいいのか判らなくなってくる。駕籠(かご)に乗る人担ぐ人そのまた草鞋を作る人で、一つの太陽電池を作るのに様々な産業や人々が関わっている。そんな中、これは太陽電池に使ったエネルギー、こちらはそれ以外、と分けて計算するのは至難の業だろう。どうすればいいか。本当に太陽電池は環境保全に役立つのか。

 産業連関表$${^{*3}}$$というものがある。1936年アメリカの経済学者W.W.レオンチェフ博士$${^{*4}}$$によって考案された。産業連関表は産業相互間、あるいは産業と家計などの関係を表にしたもの$${^{*5}}$$である。様々な産業が何かを生産するのにどれくらい費用がかかったか、生産した物をどこにどれだけ売ったかが一覧表になっている。これを使えば太陽電池を作るのにエネルギーがどれだけ投入されたかが解るはずである。

 産業連関表は各産業間の関係を示している$${^{*6}}$$ので、自分が買ってきた太陽電池が具体的にどれくらいのエネルギーを使って作られたか知るには太陽電池専用の連関表がいる。そんなものはない。

 それに自分が買ったものが作られるまでに環境に対してどれくらい影響を及ぼしてきたかを知るのに、いちいち産業連関表を計算しなければならないとなると、環境保全への関心が消沈してしまう。どうすればよいか。

 商品の値段は原材料費や人件費や利益で構成されている。原材料費にはエネルギー費も含まれている。原材料も商品なのでその価格の中には原材料の原材料費や人件費や利益が含まれる。そのまた原材料の原材料も商品なのでそれにも原材料費が含まれている。入れ子状態$${^{*7}}$$になっているのだが、最終的には小売りでの価格に全て反映されているはずだ。

 物の値段はそれを作るのに要したエネルギーの量を反映しているのである。値段でその物を作るのに使ったエネルギー量の比較ができる。同じ物でも利益や人件費によって値段が違うので一概にそうとは言えない、と思うかも知れない。そうではない。人件費は最終的には消費に回される。つまりエネルギー量なのである。利益に関しても、配当や役員報酬分は消費に、税金も消費、社内留保も最終的には消費に回る。経済活動は全てエネルギーに換算されるので、物の経済的価値すなわち値段はエネルギー量と考えても差し支えはない。

 こう考えていくと「少し高価ですが、地球のことを考えて材料を選びました」というのはエネルギー消費の面からするとおかしな話になる。

 結局、人類の経済活動の量そのものが問題であるので、物を中心とした経済発展と環境保全との両立は不可能ということになる。

*1 20040610 やさしさの真実
*2 20040611 やさしさの真実(2)
*3 1 産業連関表とは
*4 Wassily Leontief - Autobiography
*5 3 産業連関表の仕組み
*6 平成12年(2000年)産業連関表
*7 20020406 宇宙の果て

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