白木蓮に酔う 2020/03/11はれ
川べりの白木蓮の花が満開だった。
たった1本。電線を超える高さの樹に、葉はなく、根本から天辺まで、花で埋め尽くされている。
大人のこぶし大の真っ白な花が、1つ1つツンと青空に向かい、燃えるように咲いている。
花びらはぽってりと肉厚で、盛りをすぎたものは少し先が垂れ下がり、桃色の花の中が見えて少し色っぽい。
深く濃い甘い香りがする。
なぜ花の名がわかったかというと、樹に札がかかっていたからで、そこには1978年植樹とも書かれていた。
本当に美しいものを見ると人は阿呆になるのだと、いつも思う。
息子と私も綺麗だねぇ、綺麗だねぇとそれだけを繰り返し、木の下のベンチに座っていた。自転車で通る人、犬の散歩中の人、ジョギング中の人、何人もの人が通りすがり、立ち止まり、ハクモクレンを見上げていた。見知らぬ人同士で声をかわし、見事だねぇ満開だねぇという言葉が往復していた。
対岸の鶏小屋の鶏が時々のんびり鳴いた。
猫を抱いたおばあさまが、この花は毎年3日くらいしか咲かないのだ、と教えてくれた。40年間毎年3日ずつ花を見せてくれるのだと。
気が付くと川面に金色の光が踊り、白木蓮は西日を背に、淡くたまご色に光るように立っていた。
もう1時間もここにいたのだと驚く。
強い風が吹き、花びらがぽとぽとと落ちた。息子が拾い集めて両手いっぱいくれた。かぶっていた帽子にそれを入れた。
綺麗な花が見れてよかったね!忘れられないね~!
と呑気に私が言うと、息子がうなずいて、
もし、ふたりのどちらかが先に死んでも、思い出せるね
と言った。ドキッとした。そういうことは言っちゃだめだと強く諭した。
息子は冗談だよと破顔した。幼子の言うことに深い意味はない。だけど、妙に心がざわついた。
私たちはあの花の香りに酔っていたのかもしれない。
先に死ぬのは私でなければ絶対にいけない。
白木蓮は美しく妖しい樹だった。
夜に川べりであの花を見たら、どうかなってしまいそうだ。
いっさんに自転車を漕いで家に帰ると、
夕方の空はまだ明るく、帽子の中の花びらは茶色くしなびてしまっていた。訳知らず、ほっとした。
外から17時を知らせるメロディが聞こえる。近所のお友達が公園に息子が忘れたボールを届けてくれる。ドアを開けると、どこかの家からごま油を炒める匂いがした。
あの花はもう散っただろうか。
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