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小人達のメトロポリス・ヴロツワフ

この地域にはかつて小人が棲んでいた――
そのような言い伝えのある街は世界各地にいくつもあるだろう。
しかし、残念なことに現代において小人にお目にかかれる場所は中々ない。
ところがポーランドには小人の人口で言えば恐らく世界最大であろう街がある。
今回は、そんな小人たちの街、ヴロツワフを取り上げたい。

ヴロツワフはこんな街

ヴロツワフ(Wrocław)は、ポーランドの西部・シロンスク地方にある同国第4の都市である。
人口は約64万人と同地方最大を誇り、かつポーランドの中でも最も古い歴史を持つ街の一つであり、歴史的にはプロイセン・オーストリア・ドイツ・ハンガリーなど様々な国の領地となった歴史を持っている。
またヴロツワフはポーランド有数の大学都市でもあり、約15万人の学生が住んでいるそうだ。

ヴロツワフへのアクセス

ヴロツワフへは、同国の首都ワルシャワや南部にある古都クラクフなどから電車でアクセスが可能だ。どちらも直通で所要時間はおよそ3時間半と、それなりに時間がかかる。
飛行機であればワルシャワから1時間程度のようなので、それも選択肢だろう。
私は電車で移動したのであるが、1点注意事項として、ポーランドの長距離列車にはランクがいくつかあり、上からEIP/EIC/IC/TLKの4種類が存在する。

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分かりづらいので恐縮だが、時刻の右側の白抜きの部分に種別が書かれている。そして、IC以上はそれなりに近代的な電車なのであるが、TLKだけは極端に古い車体になっている。3時間超とそれなりに時間のかかる旅であるので、IC以上を利用するとよいだろう

私はワルシャワから一番新しいEIPの1等車を利用した。

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車内は新しく快適で、前々日に利用したTLKとは雲泥の差だった。
また、1等車では軽食も提供される。

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量の少なさはさておき、味はまずまずだった。
この快適さで139zł(4000円強)なら、悪くない選択肢だろう。

そして電車はヴロツワフ中央駅に滑り込む。

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規模も大きく外観も美しい駅舎だ。

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小人を探すには

さて、ヴロツワフに到着したら早速小人に会いに行きたいところであるが、そもそも彼らはどこにいるのだろうか。
ヴロツワフには100人以上の小人たちが棲んでいるので、適当に街を歩いても、そこかしこに見つけることが出来る。が、せっかくならばしっかり探してみたいものだ。その場合、観光案内所などでマップを買うことが出来る。

しかし、小人の数は頻繁に増減するらしく、紙の地図だとすべてを追いきれないようで、書かれているはずのところにいなかったり、書かれていないところにいたりすることがあった。
以下の観光案内のサイトでも小人たちの住所を確認することが出来るようなので、コレを見るのが一番良いかも知れない。

上記のサイトによると、約400人弱の小人達がヴロツワフ市内の各地に棲んでいるようだ。3年ほど前に私が訪れて購入した地図には100人しか掲載されていなかったのでざっと4倍だ。

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どうやら小人界ではヴロツワフに人口流入が進んでいるらしい。住みたい街ランキングの上位にいて、ヒルナンデス的な番組でしょっちゅう取り上げられていたりでもするのだろうか。

市内中心部へ

前日夜にヴロツワフに到着した私は、明くる朝、特にポーランド要素のない朝食を食べると、早速小人を探しに市内の中心部へ向かうことにした。

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中心地に向かう道すがら、早速第一小人を発見する。

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ヴロツワフに最も古くからいる、通称「お父さん」だ。彼はお父さんだけあって、他の小人より明らかに大きい。もはや小人ではないサイズ感だが、
そんなお父さんを皮切りに次々と多種多様な小人達が姿を見せてくれる。

彼らは清掃業者に煙突の掃除人だそうだ。

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ブルーカラーだけではなく、ホワイトカラーのITエンジニアもいる。
ひょっとしたら先程の小人の位置情報サイトを作ったのは彼かもしれない。

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下ばかりに気を取られてはいけない。ふと見上げると街灯にしがみついているやつもいたりするので油断は禁物だ。

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キョロキョロ見回しながら歩くこと20分、市の中心部である中央市場広場へとたどり着いた。

13世紀初頭に建設され、ポーランドで2番めの広さを持つという歴史ある広場は、東欧らしいカラフルで一様でない形状の建物が並ぶ姿が美しい。

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小人にとってもやはりここが中心地なのか、ここにも様々な立場の小人達が棲んでいた。

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消防士

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ATMユーザー

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熱狂的にヴロツワフが好きな小人(?)

また、小人界の一大都市だ。カメラを提げた観光客もいるし、ホテルにはチェックインをしようとするものも、既に一休みしているものもいる。

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聖ヨハネ大聖堂

高いところから探してみるのも効率的かも知れない。町の北側にある聖ヨハネ大聖堂にも足を伸ばしてみよう。

途中、閉じられた地下への入り口を見つけた。見張りがいて中を覗くことは出来なかったが小人たちの集落につながっているのかも知れない。

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また、これだけ小人がいると、中には不埒な輩もいるようだ。彼が一体何をしでかしたのか知る由もないが、しっかりと罪を償ってほしいものだ。

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広場を抜けて橋を渡ると特徴的な2つの尖塔が見えてくる。目指す大聖堂だ。

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ふと川沿いを見ると、遠くに小人がまた一人。洗濯に勤しんでいるようだ。

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中央市場広場から約20分弱ほど歩くと聖ヨハネ大聖堂だ。

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元は12世紀後半に建てられた歴史のある大聖堂ではあるが、第二次世界大戦で被害を受け、戦後に再建されている。
バロック様式の内部は豪華絢爛というわけではないものの、厳かな雰囲気を持っている。

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お目当ての尖塔にも登ってみよう。

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小人を探すにはいささか高すぎるものの、ヴロツワフの街を一望する景色に出会うことが出来る。
上から発見したわけではないが、教会の近くにいた彼は印刷技師だろうか。

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その他のスポット

川沿いには他にもいくつかの見どころがある。


マーケットはその土地の人たちの生活を垣間見ることが出来るので、なるべく覗くようにしているのだが、ヴロツワフのマーケットも地元の人たちが集まり、活気ある商いの場であった。

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余談だが、ポーランド人は花を贈るのが好きなようで、空港や駅などでは花を持って出迎えるというのが一つの習慣となっているそうだ。
日本ではなかなか花を贈る機会も少ないが、素敵な習慣ではないか。

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また、学園都市であるヴロツワフでも特に名門と言われるヴロツワフ大学も川沿いにある。

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300年を超える歴史を持ち、ノーベル賞受賞者も輩出した名門大学である。私は時間の関係もあり、内部には入らなかったが、教会や学食など見どころがある。

小人にとっても名門なようで、教授と思しき出で立ちをした小人の姿があった。何やら難しそうな本を読んでいたが、私には高尚すぎて内容はわからなかった。

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ヴロツワフに小人が住むようになったわけ

このように街のいたる所にユニークな小人たちのいるヴロツワフであるが、彼らがヴロツワフに定着したのは以外なことにも今世紀に入ってからであるそうだ。
2001年にポーランドの政治団体Orange Alternativeが自分たちの活動が行われてきた場所を記念するために、最初に取り上げたお父さんの小人像を設置したことに端を発し、以後芸大の学生や地元企業などが次々と様々な小人を配置するようになったそうだ。
歴史あるヴロツワフだが、小人にとってはニュータウンのようなものらしい。

ヴロツワフのマグネット

ヴロツワフのマグネットがこちら。

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石を運ぶ2人の小人と、歴史ある広場をうまくマッチさせた逸品だ。
個人的にはかなり気に入っているマグネットである。

私の場合、ヴロツワフ観光には半日強しか割いていなかった。
そのため、数百人いるという小人全てと会おうなどとはハナから考えていなかったのであるが、その1人1人のユニークさを見るにつれ、もっと他の小人も見てみたいという思いにかられた。
しかし限られた時間では限界もあり、もう少し居ても良かったな、などと思いながらもお父さんに別れの挨拶をして、次なる目的地、古都クラクフに向かったのであった。

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駅でホームへと向かう途中、同じく旅人だろうか、一人の小人の姿があった。彼はその後ちゃんと目的地に到着できただろうか。ホームがわからず、駅から動けなくなってはいないだろうか。

それだけが今も気がかりだ。

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次回からはシリーズものの旅行記を書き始めようと思います。

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