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The GORK  17: 「遠くで汽笛を聞きながら」

17:「遠くで汽笛を聞きながら」

「昔、俺が助けた、。それであんた、今は白目十蔵と呼ばれているのか?」
 記憶の底に、繁華街の裏路地に連れ込まれ、宋の履くヤクザ靴の尖った靴先で脇腹を蹴りまくられ、のたうち回っている若いチンピラの姿が微かに浮かんでくる。
 だが俺には、そのチンピラを「助けた」という記憶はない。
 たまたま宋が、自分のそんな姿を堅気の友人である俺に見られるのが嫌で、蹴り込むのを程々にしただけなのかも知れなかった。

「その口振りだと、俺の事をよく判っていないで嗅ぎ回っていたようだな。誰かに頼まれたか、、、なら手を引くことだ。俺の気が変わらない内にな、」
 不意に首筋の裏側に鋭い痛みを感じて、俺は身体を硬くした。
 ナイフの刃先が再び突き当てられたのだ。
「勘違いするなよ。俺は、時々あんたのことを考えてた。いつか何処かで、あんたと出会ったらどうするかってな。あんたに礼を言おうか、それともその口を塞いでしまおうかと。あん時の俺の無様な姿を知ってるのは、宋とあんただけだ。いや正確に言うと、たった今、裏十龍の白目十蔵の素性や過去の正体を知ってるのはあんただけになった。」
「それを俺に伝えたって事は、あんたには気持ちの余裕があるって事なんだろう?」
 白目十蔵の中で、目撃者目川純に対する殺意が芽生えないように、俺は細心の注意を払った。

「正解。さすが探偵さんだ。今の俺は強い。過去の俺を笑い飛ばせる程にな。だが人の気持ちってものはいつも揺れ動くもんだ。俺が明日も同じ気分でいられるとは限らない。だから、探偵さんよ。俺のことを嗅ぎ回るのはよせ。それから出来るだけ早く、この裏十龍から出ていくことだ。俺の見立てじゃ、あんたにゃ、裏十龍は似合わない。」

 首筋に濡れた感じはない。
 白目十蔵は血が流れ出るような突き方をしなかったのだろう。
 それでも俺は恐る恐る自分の手のひらを首筋に持って行った。
 状況が変化した今、いつまでも「凍り付いて」はいられないからだ。
 十蔵の反応はなかった。
 俺は思い切って振り返って見たが、闇の中に人間が潜む気配はまったくなかった。
 白目十蔵は現れた時と同じく唐突にこの場から消え去っていたのだ。


『いいか、一度だけ言う。良く聞け。、、白目十蔵という名の男が一番大切にしているのものを奪い取れ、そうすれば、君の任務は2週間で片が付く。』
 そんなナレーションをバックに、ダンスホールで大柄な蛇喰と小柄なマリーがタンゴを踊っている。
 マリーのしなやかな身体は、踊りのパートナーと言うよりは、彼女の身体を弄んでいるようにしか見えない蛇喰の過激なアクションによって、翻弄され、汗びっしょりになっていた。
 不思議な事にそんなマリーの体臭は麝香の香りがした。
 その香りがきつくなって、思わず、俺は目覚めた。
 当のマリーがベッドで寝ていた俺の顔を覗き込んでいたのだ。

「大丈夫?随分、うなされていたけど」
 十蔵との出会いから二日経った夜の事だ。
 俺は体調を崩し始めていた。
 無茶な張り込みと聞き込みの連続、、聞き込みで最後に出会った老人が、奇妙に乾いた咳をしていたが、そこで風邪をもらったのかも知れない。
 その老人は、こう言っていた。
「白目十蔵?ああ抱月のことか、、昔はただのチンピラだったらしいな、だがどこでどう変わったもんか、今じゃ有名な闇の臓器密売ブローカーだ。この裏十龍じゃ大立て者だよ。ずいぶんな金を裏十龍に提供しているらしい。落ちぶれ果てた今の儂とは、大きな違いだな。儂だって此処に入る前は、、」
 その後、老人の昔話は永々と続き、その多くは眉唾ものだったが、十蔵の話だけは信頼性があると思えた。
 十蔵臓器密売人説も、昔、辰巳組の使い走りを、彼がさせられていた事を考え合わせると、その可能性は大いに高くなるのだ。
 あの頃、辰巳組は取り立て業を請け負っていたが、どうしても金を搾り取れない相手には、その臓器を売らせて金を回収していたという噂を聞いたことがある。
 実際、友人の宋もそのようなことを俺に漏らしていた。
 十蔵は、その頃、臓器売買のノウハウを身につけた可能性があるのだ。

 その他、十蔵に関する情報の収穫は、この二日間で結構あった。
 例えば、十蔵が臓器を持ち運ぶ為に使っている特別な冷蔵保存容器を、やつは自分で「オルゴン蓄積器」、あるいは「オルゴン・アキュムレーター」と名付けている、、だとかの話だ。
 オルゴンは、性エネルギーの意味だから、それを臓器と重ね合わせるのは、十蔵が相当イカれているという証だ。
 それにダテのファッションなのか、眼鏡のレンズ合わせの用のトライアルフレームに、黒いレンズを嵌め込んでサングラス代わりに使っている白目十蔵の写真も手に入れた。

 さらに俺は、十蔵の部屋番号を突き止めてさえいたのだ。
 けれど、そこから先へは進めなかった。
 白目十蔵の一番大切にしているモノが、どうやら密売対象である「臓器」そのもので、近々、彼が非常に大きな取引を控えている事まで掴んでいるというのにだ。
 最大の障害になっていたのは、各部屋の防犯システムだった。
 高度なコンピュータ制御の認知システムが常時稼働していて、忍び込む手だてが全く見つからない。
 十蔵の部屋に押し入り強盗めいた侵入を果たすのなら話は別だが、それは最後の手段だったし、俺が必ず強奪に成功するとは限らず、逆に返り討ちにあう可能性も大いにあったのだ。
 しかし、これだけ十蔵の周辺を嗅ぎ回ったのだ。
 いずれ十蔵の方が自己防衛の為に動き出すだろう。
 事は急を要している。

「悩み事があるんだよ。俺が熱に浮かされて、悪い夢を見るのはそのせいだ。」
 マリーの星の模様が入った付け爪が、俺のパジャマのボタンを器用に外していく。
 これがリョウだったら、、と俺は微かに思った。
「悩み事って何?蛇喰から、あなたに対しては出来るだけのことをしてやれと言われてるわ。」
「泥棒の手伝いと聞いても?」
 マリーは、返事の代わりに、冗談めかして俺の胸元をはだけ、そこに浮き出た汗を軽く舌で舐めとった。
 もし俺の乳首にマリーの唇が絡んだら、間違いなく俺は勃起していただろう。
 そんな夜だった。 

「ここの入退室に関する認識システムは凄い。完全なキーレスを実現しているもんな。でも逆に言えば、それだからこそ誰にも顔を会わさないで、他人の部屋に入り込める方法も、あるんじゃないのか?」
「おかしいわね。純はアタシが昔知っていた人と同じ質問をするんだもの。」
 それは蛇喰のことだろう?なぜ話をボカす?
 俺は黒のボルサリーノの下の、蛇喰の一見、人の良さそうな大きな顔を思い出した。

「ただし・・・あのミッキーマウスの部屋の使用の提案なら、それは端から却下だ。」
 俺が十蔵の部屋に忍び込むために、一番最初に思いついたのは、このビルの頭脳部分とも言えるミッキーの管理室だった。
 だがそのミッキーに協力が得られる筈がない。
「・・予測も付かない非常事態にコンピュータは弱いの。例えば部屋の住人が自殺したら、彼が認証権を与えた知人が、彼の部屋に訪れるまで、誰もその死体を発見出来ない。、、とかね。」
 間近にいるマリーの体温がやけに暑い。
 なめし革のような艶やかな肌、リョウの肌に似ているがリョウにはもう少し湿り気があったような気がする。
「非常事態を想定するのは無駄だろう。平成十龍城には自家発電の電源があって、緊急事態に陥って電気の供給が止まっても、すぐにそれに切り替わると聞いたんだが。」
「それとは別なの。地震だとか火災の場合は、半時間ほどそれぞれの部屋のドアに対する電力供給がカットされて、色々なものが手動で動くようにセットしてあるの。理由は、さっきの自殺と同じこと。で、その状態は、あるパスワードを打ち込むと、別に地震とかじゃなくても作り出す事が可能なわけ。」
「しかし例えパスワードが分かっていても、それはミッキーの部屋に行かないと実行出来ないんだろう?」
「そうじゃない、それは非常用通路に備え付けてある有線電話から使えるの。だって、地震の時は管理室だって同じ条件下になるんだから。それはインテリジェンスビルの宿命ね。」
 非常通路、マリーが初めて俺をこの「裏十龍」に連れ込む時に使った隠し通路だ。

「、、、、なんだか眉唾だな。そんな便利なパスワードがあるなら、此処に盗みに入った泥棒は自分の好きな部屋に入り放題ってことになる。」
「勿論。これはトップシークレットよ。パスワードは裏十龍のトップにいる人間しか知らないわ。」
「トップってミッキーはその中に入っていないのか?ミッキーから聞き出すなら同じリスクだぜ。」
「ミッキーは間違いなくトップよ。でも彼にはそんなパスワードがなくたって、各部屋を自由自在に開ける権限を与えられている。それに彼はレスキューに回る人間じゃないわ。緊急時に自分の身体を張って動き回ってくれるトップが他にも数人いるのよ。皆、この裏テンロンを大切にしてるの。」
「・・で、君はどうにかしてそのパスワードを知っている。」
「そう、その通り。でもパスワードを聞き出したのは数年前。その人は今はもう此処にはいない。今でもそれが使えるのかどうかは判らないわ。」
「じゃ、蛇喰はその時、どうしてそれを使わなかったんだ。」
 思わず俺は蛇喰の名を口にしてしまった。

「彼はそれを使う前に、此処から出ていった、、。」
 マリーは昔、蛇喰と深い関係があった事を否定しなかった。
「なぜ彼を追いかけなかったんだ?君は彼を愛してたんだろう。」
 二人の関係が切れていないのは、今こうやって蛇喰の手先としてマリーが俺を助けてくれる事実からも明白だった、では何故、、。
 しかしその答えは得られなかった。
 マリーの身体が、次の瞬間、俺の上に覆い被さって来たからだ。

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