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The GORK  35: 「我が良き友よ」

35: 「我が良き友よ」

『この仕事の報酬で、薬を何グラム購入するか、、』
 薬を大量に買い付ければ、薬に枯渇していると思われ、こちらの足下を見る判断材料に使われるだろうし、かと言って少量の購入では、半島からの影響を下げる為にストックを増やすという目的が達成出来ない。

 煙猿はそういった事を、ある人物を待つ間に、一人考えていた。
 これから、人一人を殺すというのに、その事に付いては、何の緊張感も不安もない。
 待ち人とは、煙猿が数日前に深層催眠を仕掛けておいたクラブアポロンの男娼・陰間純生だった。
 その陰間が、クラブアポロンの建物のある街路の曲がり角で、煙猿の顔を認めたとき、煙猿は十蔵から得られる任務成立後の報酬の三分の二ほどを「薬」に注ぎ込むことを決めた。
 勿論、仕事はまだ終わっていないし、報酬も手にしていないが、煙猿には自分が仕事に失敗するのではないかという不安は一切なかった。
 そういう男なのである。

 煙猿が右手を上げ、その先を指鉄砲にして陰間に向けると、陰間は怪訝な顔をしたが、続いて煙猿のパンという口の動きを見て、目が覚めたように急に表情を明るくした。
 その後、二人は黙って抱き合って挨拶を交わすと、肩を組んでクラブアポロンに入って行った。
 クラブに入った途端、煙猿はクラブの用心棒二人に呼び止められたが、それを庇ったのが陰間だった。
 クラブアポロンでトップの成績を叩き出す陰間が「この男は今日からここで働く新人で自分の友人でもある」と言えば、クラブの警護以外には、なんの権限もない用心棒たちに返す言葉はなかった。

 ただ、入り口近くの大広間で客待ちをしている他の男娼達は、そうではなかった。
 売り上げナンバーワンの陰間といえど、単なる商売上のライバルに過ぎず、陰間が連れてきた男も、その登場からして不審すぎた。
 普通、新人はマネージャーが連れてきて正式な場で紹介されるものだ。
 前髪を片側だけ大きく額に垂らした美形過ぎる優男、身体にピッタリしたジーンズ生地の上下に包まれたその身体は細身ながら強靱そうだった。
 こういったクラブに居そうで、実はまったくそぐわない男、それが煙猿だった。
 だがその状況も一転した。
 今度はクラブアポロンのナンバー2の山根が奥の部屋から出て来て、煙猿と親しげに挨拶を交わし始めたからだ。
 クラブは、陰間派と山根派の二つのグループに分かれている。
 そのもう一方のリーダーである山根が親しげに煙猿に挨拶をしたのだ。
 これはもう決定的だった。
 勿論、山根の方も煙猿が既に深層催眠を施している。

「さあさ、見せ物じゃないよ。もうお仕事は始まってるんだよ。みんな爪でも磨いておくんだね。この前、お客様からクレームがあったの知ってんだろ。」
 その山根の一言で、他の従業員達もいつもの待合いモードに戻っていった。
 そして当の山根自身は、それだけ言うと、大広間の奥まった何時もの定位置へ立ち去ってしまった。
 つまり煙猿からは、それ以上の指示を植え付けられていないという事だった。
 それは陰間も同じ事で、彼の表情からは煙猿に対する友愛の微笑みが途切れないものの、二人の間には、なんの会話も生まれなかった。
 それは当然だった、基本的に陰間は煙猿の事を「何も知らない」のだから。


 ムラヤマ会長は昼過ぎに、三人のボディガードと共にクラブアポロンにやって来た。
 ムラヤマ会長は押し出しの良い体を和着物で包み、ボディガード達は定番の黒のスーツにサングラス、いずれも映画に登場しそうな悪党ぶりだった。
 勿論そういった自分の風貌を、ムラヤマは政治の世界で利用しているに過ぎなかったが、それは彼を、一つの派閥の長に押し上げるのに多少なりとも役立っていたようである。
 『ムラヤマは、自分が危険な時ほど男が欲しくなる。だから一番の狙い目はクラブアポロン』・・十蔵が煙猿に前もって与えた情報通りだった。
 クラブは午前11時に開店したから、相当に早い「入り」だった。
 例によってクラブの用心棒達が、ムラヤマのボディガード達を誰何するが、いかんせんムラヤマのボディガード達とは格が違いすぎた。
 クラブの待合室でもある大広間には男娼を含めて20名近い男達がいたが、それらは全て、たった今入ってきたばかりの、このボディガード達の制御下に置かれたような雰囲気になっている。
 どうやら三人の内のリーダーらしい男が、仲間の一人をクラブから退去させ、ムラヤマに何事かを注進しているようだ。
 煙猿はクラブを出て行こうとするボディガードの広い背中を暫く見つめた。
『一人は入り口の警護に当たる為に出て行った、、いざとなったら何秒で倒せるか、、外は明るい、飛ばしたワイヤーは誰にも見えないだろう、首に巻き付け引く、30秒でいける。』
 そう判断した途端、煙猿の目は、リーダー格の男の唇の動きを読んでいる。

 男はムラヤマに、ここで男を買うこと止めるように言っている。
 どうしても買うなら自分は寝室に付いていってムラヤマをガードする覚悟だと。
「状況は判っておる。だがここは馴染みの店だし、何より私には、お前達がおるではないか」
 そのような事を言いながら、ムラヤマは余裕の表情で、ボディガードの言葉を聞き流し、煙猿の方に近づいてくる。
 二人並んで壁際に立っている陰間と煙猿の前まで来ると、「ほう新人かね、、。いい顔と体をしてるな。だが私の好みではない。・・いずれ気が変わったら、お相手願おうか。」といいながら、その分厚い手で煙猿の頬を撫でて、立ち去っていく。
 隣では陰間が深々とお辞儀をしている。
 ムラヤマは、大広間の片隅で、捨て犬のように縮こまっている少年を見つけてそちらに近づいていった。
「今日は彼だな。会長の好みは、あーゆーのだからね。まあ僕も時々お相手はするけど。・・しかし、ここはSMクラブじゃないつーの。」
 陰間がひそひそ声で煙猿に今の状況を説明をしてくれる。
 なんと言っても煙猿は、陰間に取って「大切にしなければならない大の親友」だからだ。
 煙猿は、その声を聞きながら、少年といっていいような男と手をつないで、階上に続く階段を上っていくムラヤマの姿を追った。
 その二人の後から少し遅れてリーダー格のボディガードが付いていく。
 まさか先ほどの言葉通り、二人が入る部屋までは入りはしないだろうが、ドアの前に張り付いてしっかりムラヤマのガードをするつもりだろう。
 部屋の中の状況は、当のムラヤマさえも気づいていない彼の衣服に仕込まれた盗聴器などで、逐一カバーする、、、まあそんな段取りだろうと煙猿は推測した。
 この辺りの事柄について、煙猿は半島で諜報活動の特訓を受けていた頃に、いやと言うほど教え込まれていた。

 一方、リーダー格のボディガードが先ほどまでいたホール全体を見渡せる位置には、残ったもう一人のボディガードが、しっかり入れ替わっていて、周囲の様子を把握していた。
 煙猿は、突如動きだし、ムラヤマ達が上がっていた2階に向かった。
 ホール中央のボディガードの注意が、すぐさま煙猿に向いたが、煙猿がそれに臆することはなかった。
 変に意識する方が、却って疑われる。
 煙猿が二階に上がった途端、ある個室から出てきたボディガードの姿が見えた。
 彼は、そのまま個室のドアを閉めると、今度はその隣の個室の前に移動し、床に根が生えたみたいに突っ立った。
 その耳には、煙猿の予想どおりイヤホンがつっこんである。
 2階にある個室は、ホテルにある部屋のようなもので、同じ並びであれば、一つの部屋の様子を確認する事で、総ての部屋の内部を知ることが出来る。
 ボディガードはムラヤマ達が入った部屋の内部の様子を確認する為に、その隣の空き部屋をのぞき込んでいたのだろう。
 煙猿は、自分が予め頭の中に入れてある部屋の見取り図を思い浮かべなから、この男が先程の部屋の観察によって、個室に敵が侵入するためには、ドアからの正面突破しかないと確信した筈だと思った。
 このボディガードは周到な男だったが、自分が立つ位置によって、敵にムラヤマの所在を教える結果に繋がる事には気付いていないようだった。
 勿論、その背景には、油断ではなく、どんな攻撃からも自分が雇い主を守ってみせるという決意があるのだが。

 煙猿は、大胆にもそのボディガードの前を通り、彼の顔を舐めるように眺めてから廊下をつっきり、反対側の階段から再び一階へと戻っていった。
 煙猿は一階に降りると、そのまま出口に向かった。
 ホール中央に陣取っていたボディガードの注意が再び煙猿に向けられたが、煙猿には、彼がその場を動けないないのが判っていた。
 その代わり、このボディガードはスマホを素早く取り出すと誰かに指示を送った。
 おそらく玄関前に待機させている三人目のボディガードに、煙猿の動きに不穏な部分がないか、出来る範囲の視認追尾をさせるつもりだったのだろう。

 煙猿は、玄関前に立って自分を監視している第三のボディガードにウィンクをして見せて、彼の前を横切って西方向に歩み去った。
 クラブアポロンの隣には結構大きな雑居ビルがあり、更にその隣は有名どころの中華飯店が二件連なり、最後の中華飯店の角は交差点になっている。
 その交差点を曲がった所で、煙猿は自分の背中に張り付いていたボディガードの視線が逸れたのを感じた。
 中華飯店の側面に回り込み、その建物の切れ目と隣の建物の間に生まれた隙間を、煙猿は少し観察する。
 50㎝前後だが、クラブアポロンの背面まで繋がっているその隙間は、奥に逝くほど狭くなっている。
 その他、その狭い隙間に張り出した出窓の枠やその他諸々、、だれが見てもその空間は、大の大人には進入が不可能に見えた。
 体を横に向ければ、自分の体を隙間に押し込めることは出来るが、それ以上の動きは出来ない、要するにそれは「挟まって」いる状態に過ぎない。
 だがその様子は、煙猿からすると、以前彼が下見にやって来て「侵入するならここから」と決めた時と比べ、大きな変化はなかったのだ。
 つまり、今、ここからなら、「クラブアポロンに侵入出来る」という事だった。



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