㉑年商10億円規模までの会社がコロナ後も生き残るために大事なこと~都銀出身・元焼肉店経営・元不動産投資家・地方在住、経営コンサル2年目の気付き
写真は先週読んだ二冊。小生が2005年にSMBCに入行した時の頭取の遺言的な書と、同い年の1981年生まれの脳みそエンジン馬力&トルク&排気量バリバリ系の著者が描いた、私が社会に出てちょうど20年後にあたる2025年の衝撃的な金融業界を予測する書物です。今回から実体験中心でちょっと前の情報ですが、良くも悪くも生々しさを大事にしたいので時系列や構成は深く考えず思い付きで筆を走らせてみます。読みづらさはご容赦を。それでもワンフレーズでも誰かの参考になってお役に立てれば幸いです。
無計画な借入依存経営は「破滅」に向かいます。
2009年から2018年。思い返せば「他人のふんどし(借入金)で相撲を取り続けた」10年でした。銀行員時代、お金を貸すのは大の苦手でしたが、独立後、借りるのは不思議と得意でした。
「連帯保証人には絶対なるな。」「借り入れは悪。」といういたって保守的な中流労働者階級にありがちな家庭教育を受けて育ちました。
実家は小さいながらも、郵便局員だった祖父が退職金と預金で長男(私の父)のためにキャッシュで購入したものでした。
借入とは縁遠い環境で育ったのですが、連帯保証人になりまくり、借りまくりの10年間を歩んで最終的に、金融機関に迷惑をかけてしまいました。(現状、大部分が債権回収会社に移管。なので自己破産はしていません。)
これは最初に銀行の法人営業部(支店の融資部門)に半年間の研修を経て、配属となり、関連会社に左遷されるまでの約3年強(2拠店)のわずかな期間ですが、濃密且つ強烈な体験が原因にあると思います。銀行の貸す側の実務を経験したことは不動産投資の開始時、事業主としての独立後、お客様を金融機関にご紹介する際に非常に役立ったと感じております。
不動産投資での借入、保険代理店の法人としての借入、飲食店事業での借入(リースを含む)と、住宅ローン、個人での事業性簿外借入を合わせると借入実行額は7億円を超えています。
ちなみに現在残っている事業性の負債総額は1億5000万円。
住宅ローンの残高は3190万円。
となっております。
私の学びとしては、
ひとつの結論:根拠のある経営計画無しに、借入依存の経営になってしまうといつかは崩壊する可能性が非常に高い。
ということです。
岡山の金融環境はどうだったのか?
属人的な要素が多分にある生保業界での独立であったこともあり、べっちゃりした人間関係・潜在的マーケットが存在する、岡山県南エリアを本拠地とした起業となりました。経済規模がそこそこあり、妻と私の実家があり、子育てするには何かと都合がよく、生まれ育ったなじみのエリアは実は後で判明するのですが、借り手にとっては恵まれ過ぎている金融環境でした。
地政学的に言うと、岡山市倉敷市(合算人口約120万人)は中国地方と四国地方の結節点に位置します。
県の人口規模は190万人程度のクセに、JRが通っている備讃瀬戸大橋のおかげもあって岡山駅は新幹線のぞみ号の停車駅であり、1日あたりの乗降客14万人を誇ります。
何が言いたいのかと言いますと、中国地方全体・九州・四国・関西から、ヒト・モノ・カネが流入してくる交流、融合地点の極みという状況です。
ここで何が起きてくるかと言いますと、
多すぎる金融機関(オーバーバンク)という状況です。
更に江戸時代からの質素倹約文化が根付いていて貯蓄に励む県民性もあり、金融機関の立ち場からすれば、どうしても預金と貸付金だと預金が増えてきます。
経済規模と金融機関の数がマッチしていないのでここで発生する事態は、
「行き過ぎた金利のダンピングと、多少のリスクがあっても積極的に融資するという姿勢。」
です。
今思えば無謀な経営。
さしたる経営計画も無いのに、
「サラリーマンの子供なんだから、どうせ担保になる資産なんて何もねえし、信用で借りて勝負するしかねえじゃん。」
という開き直りとも取れるいささかブロークンなメンタルを土台に、ゴリゴリ借入を重ね、経営っぽい10年間を過ごしてしまいました。
経営的な外枠を先に作って、内部体制などの守備的な部分は後で作ればいいなんて安易に考えていました。
だからとにかく採用して出店するなんて無謀な経営になります。
※不動産投資の局面は、サポートしてくれる管理会社がしっかりしていたのと、物件自体が優良だったので経営は順調でした。
金融機関も最初は審査に渋ったりしますが、私があの手この手で分析や場当たり的とはいえ、それっぽい計画資料を作成したり、ああ言えばこう言うで交渉してしまい、先に述べたオーバーバンク状態で厳しい寡頭競争にさらされているので、己の営業成績・出世とリスクを天秤にかけて、最終的には認可してしまいます。
次回はちょっと具体的に、どういうプロセスで億を超える金額を借入していったのかを振り返りたいと思います。
中村徳秀
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