㉒年商10億円規模までの会社がコロナ後も生き残るために大事なこと~都銀出身・元焼肉店経営・元不動産投資家・地方在住、経営コンサル2年目の気付き
写真は先日読んだ2冊です。1冊は牧歌的VR(妄想海外旅行)のため。もう1冊は名著から原理原則を学び、歪んだ性根を叩き直すためです。
今回は不動産投資にテーマを絞ります。
事業性の融資全般についても別途書きます。
不動産投資はまだまだ、正攻法の投資手法であり、コロナ後も経営や生活の支えとなり得るものなのでテーマの趣旨からはそれほど外れるものではありません。
どういう過程を経て2億円を超える融資が決定したのか。要因を探ることで、今後もし不動産投資に挑戦する人がいれば、参考になる点も出てくるのではないかと考えております。
ちなみに物件取得時期は2013年2月。売却時期は2015年2月です。(かなり前でスミマセン・・・。)
なぜ2億円借りられた?
要因毎に整理します。
【融資対象物件】
・人気の住宅地(岡山市北区)入居率95%
・構造がRC(鉄筋コンクリート)
・1988年築 1Kと1DK・2DK混在の物件 計51室
・表面利回り11.80%(ソーラーパネル抜き)
【金融機関のプラス要素】
・融資担当者が支店だけでなく全社的エース級。
・支店長が役員昇進直前。(最後の一押し案件が欲しいという心理であろうと仮説を立てました。)※後日追記:理事長になられました!
・金融機関(形態:信用組合)全体の収益の多くを担う基幹店舗。
・当該信用組合の預金量が3000億円 貸付が1200億円(当時)
というアンバランスな預貸比率(信用創造機能を果すよう預金の60%は貸付するよう金融庁からの指示があった模様)
⇒これを背景に、ワンショットの額が大きく且つ、担保(保全)を一定額カバーできる不動産融資に一時的に舵を切った頃であった。
【仲介業者のネームバリュー】
・仲介業者となる不動産会社の経営者が金融機関と良好な信頼関係にある。
【自助努力】
・2009年に3280万円の物件購入。2年後満室運営し、3450万円で売却したという実績あり。
・妻も連帯保証を差し入れることに同意。
・元銀行員の事業主という立場を活かし、金融機関に複数融資案件を紹介。
・住宅ローンを借り換え+自身の創業資金を借入。
・投資用に法人設立(生保代理店も兼ねる)。
・この物件の前に、価格3億円の物件購入に挑戦するも否決。(1回挑戦し、物件購入の意思表示をしていた。)
【偶然の産物】
・A棟、B棟・C棟と2セットに分かれた物件であり、A棟に1番買い付けを、B・C棟に2番買い付けを入れていたが、B・C棟の1番買い付けが交渉決裂し、自分に順番が回ってきた。
・上記のケース(全棟購入)もあると担当者に事前に連絡していた。
・土地サイズも全棟で大きくなり資産価値の上昇も見込めると金融機関が判断。
融資実行までの経緯
うだつの上がらなかった銀行員時代の後半から人生の起死回生のために、勉強し、不動産投資を始めていました。3280万円の学生向けリノベーション物件をフルローンで購入。約3年後に3450万円で売却した経験が不動産投資のベースです。この際、近隣の大学生協に物件紹介のチラシを持って営業に行ったり、網戸を自ら張り替えたり、清掃したり、ある程度は自助努力でアパート経営をしていました。
当時の銀行員あるあると言えばそうなのですが、営業自体は好きだったのでアリコジャパン(外資系生保会社)に2010年9月に転職しました。フルコミッションの営業職でしたが、何とか食べられるようになってきた頃に、「これは独立した方が合理的だ。」という結論に至り、郷里である倉敷市に家を建築し、家族と共に帰りました。最初の1年は乗合代理店に業務委託で所属していたのですが、この形態が業界の問題点として金融庁が見始めたこともあり、委託解消し、乗合の生損保代理店として独立したのが2013年初めでした。安定収入への渇望から、不動産投資を志し、買い付けを出すこと数回。都度、地元の信用組合に融資相談を行っておりました。
自らの生保代理店の創業資金借入、住宅ローンの借り換え、融資案件の紹介などで少しずつ、信頼関係を築いていきました。そういった積み重ねが奏功したのか、結局役員会議(信用組合は億を超える案件は全て役員会議での決議が必要)を経て承認となり、大型物件のオーナーとなることができました。
その後、ソーラーパネルを設置(単価36円時代)。運営も入居率は95%以上を維持し、順調でした。この約半年後に、1億2500万円の表面利回り9.5%の優良サブリース物件も購入し、生保収入も合わせると毎月200万円以上の売上総利益となり、営業利益ベースで150万円程度ありました。
このあたりから私は調子にのり始め、勘違い野郎街道を爆進し始めます・・・。
で、その後どうなったこの物件?
飲食業に乗り出したい欲求を押さえられなくなり、資金が貯まるまで辛抱すれば良いのに、当時は見栄を張って人を雇用したり、良い事務所を構えたり、無駄な経費を多く使い、資金は貯められないというだらしない自制心の欠落した無能な経営者でした。更に飲食事業をやりたいという欲求を抑えられなくなり、資金を集めるべく、金策に走りましたが万策尽き、物件購入から約2年後に売却し、売却益2500万円を手にしました。ちなみに、繰り越し損失をそれなりに計上していたので税金はほとんどかかりませんでした。この資金を元に飲食店事業をスタートさせたのでした。
次回は、今回書かなかった、これから不動産投資をするなら、という切り口で書いて参ります。
中村徳秀
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