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⑯年商10億円規模までの会社がコロナ後も生き残るために大事なこと~都銀出身・元焼肉店経営・元不動産投資家・地方在住、経営コンサル2年目の気付き~コラム2焼肉店オーナー編

いっぱい負債(1億5000万円)が残りましたが、飲食店事業をしたことで少年時代に憧れていた元阪神タイガースの八木さんにご来店いただき、写真を一緒に撮ってもらえたことは数少ない、この事業に取り組んだからこその善き思い出です。

焼肉店オーナーシリーズ最終回なので、特にぶっちゃけベースで書いていきます。

出店の軌跡

以下のペースで岡山市・倉敷市で焼肉店を開店させました。

2015年4月 30席 岡山市北区番町

2015年9月 45席 岡山市北区中央町

2016年3月 38席 倉敷市鳥羽(JR中庄駅前)

2017年7月  80席 岡山市北区今七丁目

2017年11月 78席 倉敷市玉島長尾

前回にも記述しましたが、3号店の出店資金は保証協会つき融資と収益物件の売却益でまかないました。

戻れるのならば

今思えば、年間約1800万円の現金を残してくれる優良な事業をマイナスの収支の資産へ組み替えたようなものに過ぎなかったわけです。

要は改悪。

人生にたらればはありませんが、一つ戻って再挑戦できるならば、2号店を出店したタイミングを選びます。

なぜなら、収益物件を1物件(20室)保有したままで、2店舗の収益力をPDCAサイクルの中で強化し、意図的に売り上げの踊り場を作り、借入を減らし、内部留保を厚くしていく。

慎重に人やシステムが万全の状態まで成長してきて、自己資金で最低総額の半額をまかなえる水準になって、初めて3店舗目の出店を決めたことでしょう。

今思えば、急いては事を仕損じるの典型でした。

苦言は素直に聴くべし

出店ストップの助言をしてくださる方々は多くいました。

しかし、この頃の自分は性根が腐りきっていて歪んでおり、「出店を止めさせて、どうせ俺にはみんな大成功してほしくないと心底思っていてひがんでいるんだ」というかなり屈折した思いが深層心理にはあったと思います。

①順調に事業が成長していったパターン

②どうにか維持できているパターン

③成長が目標値まで見込めないのなら売却するパターン

など、複数のシナリオを経営計画に織り込んでいれば・・・。と今となっては感じますが。当時の自分でのベストは出し切ったので反省はしていますが、後悔はありません。

3号店出店後、約1年半後に、郊外店舗のノウハウも何も無いままに無謀な出店を2店舗行い、人材不足で1号店を売却。郊外店舗の2店舗は当初こそ調子は良かったものの、1年後以降は毎月50万円の赤字を出し、営業すればするほど現金が減り、追加融資も得られない、保険の営業スタイルも経費がかかるスタイルから脱却できない、返済負担の重さなど複雑に絡み合い、飲食店の腕利きコンサルタントの方に相談した時には、すでに手遅れの状態でした。

自分と妻も現場に出る。二人で大量のポスティングを行い、取引先と金融機関に頭を下げまくる日々。「金の心配だけはさせたくない。」という想いで、高収入の銀行員・生保といった金融の仕事を選んだのに、「何やってんだ?俺は…。」と日々悔やみ続けていました。正直その頃のことは思い出したくもないですね。

今もなお残った債務の問題は解決していません。

借入は返済していく宿命

生きている経営コンサルティング事業と生命保険代理店事業を頼りに再生したいと考えながら、このブログを書いております。

今振り返って見れば無謀極まりない経営なんですけどこの時は成功すると盲信していたんですよね・・・。

文章で伝えるのは難しいですが、まつわるエピソードやテーマのキーワードだけ備忘録的に列挙しておきます。

・借りる技術

・返せない借入はどうなるか

・飲食店出店の罠

・小型店舗と中型店舗の階級差

・保証人の話

・リスケ後の銀行交渉

・銀行毎のスタンスの違い

・友人との繋がりはどうなるか?

・営業される側の注意点

・現場に立たず成功はあるのか?

・FCだったら成功できたのか?

個人的にfacebookで繋がっている方々には対面で生々しくお話ししますので興味あればメッセージくださいね。

次回から本テーマに戻ります。

お読みいただきありがとうございます。




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