ただしマイケル・ベイ、テメーはダメだ

昨日のXbox & Bethesdaのショーケースで小島監督がマイクロソフトと新作を準備していることが明らかになった。監督は、傍から見ても今までSIEとは懇意にしてきた観があったので、今回のこの発表は正直意外だった。ただ、SIEとも良好な関係を続けているそうで、発表時の監督の言葉通りクラウドテクノロジーを活用した新作を開発中というだけで、次作あたりは普通にSIE傘下(スタジオが併合されるというわけではない)で作りそうな感じ。クラウド関係はマイクロソフトの得手とする部分だろうし、「AAAタイトルと、尖がった別の企画を進めている」旨の過去の発言からもその辺が妥当な落とし所か。とはいえかなりの衝撃を伴った発表であったことは確かだし、一部の方の「時代が変わる」予覚はやはり認めざるを得ない。SIEとXbox Studioの競合という話でいえば、個人的には現状のPS5に不満がないといえばウソになるし、PSコンソールの牙城が崩れる日がいつか来るのかもしれない。ハードの性能に局限していえばXbox Series XはPS5に明らかに優越している。現状、PS5はまだまともに買うことができないみたいだし、PS独占のタイトルに興味がない人、パッケージ版のゲームソフトを買うことがあまりない人などはXbox Series S/Xを買ってもいいと思う。セカンダリとしてSeries Sを買うという選択肢も全然アリだろう。任天堂はとうに終わっているし、まさに時代の変わり目だ。

疲れた心を癒そうと映画を二本観たのだが、そのうちの片方、『6アンダーグラウンド』がクソ映画すぎて逆にげんなりしてしまった。マイケル・ベイのような人間がいるところがハリウッドのいいところだが、お世辞にも愛すべきクソ映画にすらなれぬお粗末な出来だったので、今後は奴とは距離を置くことになるかもしれない。そもそも公開からだいぶ過ぎてからの鑑賞だったので、その機運はすでにしてあったのかもしれない。
もう一方の『アダム&アダム(原題:The Adam Project)』はよかった。前者で減ったライフゲージを回復してくれる。見事に「元気になれる映画」だ。僕は「自分自身との対話」という構造がこのうえなく好きだ。『ブレードランナー2049』や『ロキ』、ややもすれば侮蔑の意味を込めて「内省的」と批評されがちな要素だが、しかし人間が知覚することのすべては脳内でしか起こっていないのだから、究極はすべてが「内省的」なものであると、そうは考えられないだろうか。人間はその知覚プロセスの段階から、「自分自身との対話」をすることで初めて外部のものを解釈することができる。「わたし」がいなければ「あなた」もない、というわけだ(?)
人間というのは完全に過去の自分との地続きの存在ではないし、脳の機能がそう見せているだけであって、日々生活するうちに意識は絶えず変容していっている。記憶障害や人格変化というとたちまち病理を思い浮かべてしまうが、それに近いことが常に脳内では発生しているはずだ。「いま」のこの感情を論理的に説明しようとする人間はそう多くない。しかしその怒りは、喜びは、本当に「いま」の自分が感じているものなのか。彼に対する憎しみは、好意は、過去の自分が「そう思うほうが楽だから」と自己を否定したはての産物が定着したものに過ぎないのではないか。
人間にはもっと自問する過程が必要だと思う。ひとつの凡庸なギミックでそれを可能にすることで、人間が絶対的なものであるという誤謬を正確に射抜き、我々が自らを愛することの美しさを提示して見せた。この映画にあるのは父母性も含め自分自身を構成する要素ばかりだ。一人の人間にこれだけの物語があるのだから、くだらないものでもいい、とにかく自分を表現しようとする試みが美しいことを、もっと見つめなおさなければならない。ちゃんとnote継続しよ。

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