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「ノマドランド」を観た感想のようなもの

先日、久しぶりに映画館に足を運んだ。最後に映画館で映画を観たのが一体いつだったのか。もしかすると、2020年の2月だったような。

もしそうだとすれば約1年半振りに、映画館で観た映画がタイトルの「ノマドランド」である。

トレーラーを観て、「もしかするとアメリカの広大な大地をスクリーンで観ることでいくらか気が晴れるかもしれない、やっぱりオン・ザ・ロードは最高だ。」なんていう甘い期待を抱いてしまったのだろう。

「自由の国、アメリカ」

日本にいた頃はまだそんなふうに考えていた気がする。それがいつからだろう、アメリカの掲げる「自由」というものに疑問を持つようになった。

自分にとって初めての海外旅行は、中高時代の恩師と一緒に行ったサンフランシスコだった。17か18歳の時だったように思う。空港に降り立ったときの爽やかな空気や底抜けなスケールの大きさに開放感を覚えたものだ。

それが、大学在学中に訪れたベルリンを知ってから、アメリカに対する印象が大きく変わった。

あれ?11時なのにもう店が閉まっちゃうのか。ベルリンだったら最後の人が帰るまで開いてるのに。それに、銃社会だから夜の一人歩きなんて怖くてできない。

というように。それまではイメージ先行で勝手に「自由」だと思っていたのに、蓋を開けてみると実はそうではなかった、という「現実」に気がついたのだ。高校生から大学生になって行動範囲が少し広がり視野がほんの少しだけ広がったのかもしれない。

それが「ノマドランド」を観て共感する部分は、正直ほとんどというほどなかったのである。

ロックダウン中の閉塞感の中、唯一いつでも受け入れてくれた友人家族が帰ってしまった後だったので、このセリフだけが心に響いた。

完全な別れなんてないんだよ。またねっ、て言って別れるだろ。

確か、こんなセリフだ。ここで言う別れは「死別」のことであって、物理的な「別れ」のことではない。ただ、物理的に簡単に会えなくなってしまえば、意味合いはほとんど同じことになり得る。少なくとも私にとっては。

当然のことながら、長く生きれば生きるほどいくつもの「別れ」を経験する。その中には主人公のように、克服できない類の別れも含まれているかもしれない。だからこそ、主人公にはもっと自由になって欲しかった。

過去に囚われ、前を向いて歩けないほど辛いことはない。主人公には幾度もノマドの生活から、過去から解き放たれるかもしれないであろうタイミングが訪れる。それでも、彼女はそこから自由になる道を選ばなかったように見えた。

それが観ていて一番、納得が行かなかったし辛かったことなのかもしれない。

本当はもっと色々と思うところがあったのだけれど、今日はこの辺でやめておこう。別に全てを言語化する必要もないと思うので。


*タイトル画像はNOMADLANDの映画告知ポスターからのスクショです。





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