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偏見と多様性、そして共存

ベルリンのミッテ地区にあるジム。日にちや時間帯によって来ている人の客層が割と異なっていることに気づく。

早い午前中は年配の女性が多く、それを過ぎるとアラブ系やアジア系が割と増えてくる。東独時代からジムに通っているという女性は連れの友達らと大きな声で話しながら筋トレをしていることが多い。3人組でいつもかしましいのだ。

アラブ系も声が大きく、この間は隣のブースでシャワーを浴びながら正直うるさいなぁ、とため息をつくほどだった。ドイツ人女性と見られる客は大体ひとりで黙々と運動し、目も合わさず挨拶もしない人がほとんどである。アジア系、といってもおそらくベトナム系であろう人たちはこれまたサウナを陣取って、まるで自宅のような気分で好き勝手している印象を受ける。

とまぁ、かなりざっくりとした傾向のようなものが見えてくるんだけれど、やはりどこかで偏見のようなものが自分の中にもあるんだろうな、という感は否めない。偏見というよりこれまでの経験の中で形成されたイメージといったほうがいいかもしれない。

来週から始まる新たな職場にもそういった傾向のある同僚がいた。体験日にたった4時間いるだけで、それはもうステレオタイプすぎる状況が手に取るように見えてしまったのだから困ったものだと思う。

挨拶がわりにいきなり「韓国?」と聞いてきたのはアラビア語を話す、という男性だったし、「あいつは嘘を言っている、もう一度鍵を探すようにとロシア語でやつに伝えてくれ!」と語気を強めて言ったのもアラビア語話者の男性だった。ロシア語話者の女性たちはとにかく距離の詰め方がドイツ人同僚に比べると格段に早く、気づいたらおしゃべりの相手になって(されて)いた。

そこでふと思ったのが「彼ら、彼女らにとっての『日本人像』とは一体なんぞや?」ということだった。これまでに誰とも接点がなかったのだとしたら、その日本人像とやらを形成するのは今後の私の態度によるのではなかろうか。まさか「勤勉」とか「時間に正確」とか「過労死」とかではないよなぁ。

まぁでも、それもあながち外れているわけでもなさそうである。最初の1週間は人間観察と現場を仕切っているドイツ人の様子をモニターする感じになるんだろうか。それはもういろんな人がいることだけはわかったので、これまでのように自分のペースでどんどんやればいい、というものでもなさそうだからだ。摩擦やら揉め事も多いんだろうな、と思いつつ久しぶりの多国籍な職場環境なので非常に興味深く感じてはいる。その中で自分の立ち位置というものをまずは構築したほうがよさそうである。職場とはいえ、自分の身は自分で守らないとね。


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