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結婚かぁ

今日もよく人に会った。

よく、と言っても普段からそれほど人に積極的に声を掛けて会いに行くタイプでもないので午前に一件、午後に一件、である。

それでも、1日の内に友人や知人に続けざまに会う日など最近ではほとんど皆無だ。

今日の案件、表向きには「打ち合わせ」ということにしておこう。

仕事の話もしたんだが、たまたま結婚や家庭、これまでの付き合いみたいな流れの話にもなった。

私はそもそも「結婚」という制度には全く興味がない。きっぱり言い切れるほど関心がないのである。誰かにとって都合よくできている法律というか社会制度、くらいの認識である。

それなのに、というかそれだからか、日本で付き合った人にはすぐに「結婚しよう」と言われ非常に困った。なぜならまだ10代、20代だったからだ。「うーん。でも、海外に行きたいんだよなぁ。」という具合に。そして誰も一緒に来ようとはしなかった。なんでそんなこと言うんだ、と逆に悲しそうな顔をされたような気さえする。

ベルリンに来てからは「結婚しよう。」とそれほど言われなくなってホッとした。それでも、モスクワで「結婚しよう。」と言われた時はモスクワにずーっと住むことを想像したり、その他色々な思いが爆発してベルリンに逃げ帰った。2001年くらいの話だ。死ぬほど好きな相手だったが、結婚がしたいわけではなかったのだろう。今でもよくわからない。

母親は私が30半ばくらいの時にはもう「この子は子供も産まないだろうし、結婚もしないだろう。」と思って諦めていたらしい。後になぜか結婚して子供を産んだ私にそう漏らしたことがある。

確かに当時の私は子供にもそれほど興味がなかったし、家庭を持つとか結婚する、というイメージが自分の中に微塵もなかったように思う。

それが、今の相方と生活をしていて、子供が産まれた。そして、余り考えずに出産予定日直前に戸籍役場へ行ってみようという話になった。これまた担当者が親切な方で、出産日の前にたまたま空きを見つけてくれたのでとんとん拍子に式を挙げることになった。母親がベルリンにヘルプで来てくれており、喜んでくれたのが良かった。

結婚というものはこんな風にあれこれ考えずにノリでするものなのかもしれないな、とその時にふと思った。多分、そうでないとできない気がする。何かと面倒だから。国を跨ぐと書類の手配なども複雑になる。アポスティールなんてそれまで単語すら聞いたことがなかった。

もちろんお腹はパンパンに膨れ上がっているし、披露宴などやっている暇も興味もなかった(何度も言うが)ので「ま、いつかやるかも。」くらいに思っていた。そしてもちろん、その「いつか」が来ることはなかった。

だから、「めっちゃ結婚したいです。」という人の気持ちがいまだにさっぱりわからない。子育てがしたいわけでも、料理が得意なわけでも、誰かと一緒にいないと孤独死するようなタイプでもない。

ただ、気付いたら自分の周りがなんだかとても賑やかになっていた。

ひとりでふらっと旅をするのも好きだし、ひとりで本を延々に読んでいられるし、ひとりでくだらないことを飽きもせずずーっと書いていられる。ランニングもどちらか言えばひとりで淡々と走りたい。

元来マイペースというか、ひとりでも基本的にあまり退屈する方ではない。だから付き合う相手は不安になるらしい。いつかふいっといなくなりそう、と昔からよく言われた。

それでもやはり家は大切だし、自分が安心できる居場所は誰にだって必要なものだと思う。でも、それって「結婚」という形を取らなくても全く構わないんじゃないかな。

*タイトル画像はベルリンで撮影したものです





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