「信心を失う」という歌と息子の独白
一昨日前、息子がまた寝る前に堰を切ったように話し出した。10歳の息子には、たまにこういうことが起こる。まだ、そんなに眠くないねん、と言いながらこんなことを滔々と話し出したのである。
眠る前に、なぜこんな話になったのだろう。小学5年生がこんなことを心配しなくちゃいけない世の中になってしまった、という現実。
ベルリンからウクライナのキエフまでの距離は、飛行機でたったの2時間ほど。距離が近いのと、クラスメートの父親がウクライナで亡くなったことも影響しているのかもしれない。息子にとっても、もはや他人事ではなく、身近に起こっていることなのである。
そうこうするうちに原爆の話まで出てきた。日本語補習校で広島が舞台のお話を読んだからだろうか。クラスメートともしかするとそんな話をしているのかもしれない。最近のポーランドへの爆弾で地元住民が2名亡くなった話もしていたらしい。
寝る前にそんなことばかりが頭をよぎっているなんて、悪夢でも見たら大変である。心配になったので、膝の上に乗せてぎゅーとしてからおやすみ、と寝てもらった。ありがたいことに、悪夢にうなされて泣いたりもしなかったのが救いである。
そう、息子は長女に比べると繊細というか、割と小さな頃から感受性が強いのだ。そんな子どもがウクライナに住む人々の生活について、あれこれ考えているのだから心配にもなる。その一方で、彼にはそんなふうに想像力を働かせて他人のことを考える、という力が備わっていることは喜ばしいことだと思う。あまりに想像力が豊かすぎても大変だとは思うんだけれど。
そうかと思えば、昨晩はもうすぐクリスマスが来るのが楽しみなのか、寝る前に「ジングルジングル」と言いながら踊り出した。(そうだよな。クリスマスくらい盛り上げてあげないといけないんだろうね)。相変わらずこの時期は心身ともに低空飛行気味の私はそんなふうに考えてみたりもする。
これを書いていて、ふと一時期よく聴いていたR.E.M.の曲が聴きたくなった。
当時は何度も繰り返し聴いて、歌詞を覚えてしまったほどだ。Dudu Tassaのヘブライ語の歌は口ずさめないが、英語の歌だとそれが可能である。
クリスマスが無事に過ごせますように。
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