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シンプルに粛々と

腐れ縁で付き合いのあった友人について相方が言っていた指摘をなぜかふと思い出した。

「またそうやって文句言ってるけど、それっていつものパターンだし、さっさと付き合いやめた方がいいのでは?」

そういえば、別の友人にも「え、私だったらとっくに縁切ってますよ!」と指摘されることがあるが、これを意外にやってしまうタイプらしく、なかなか縁を切ることできない。だから相手が調子に乗って限度を超えるような態度を取ると、急にキレて離れた、という印象を与えるようだが実はそこへ辿り着くまでに相当な時間がかかっているというわけだ。

親しい中にも礼儀ありっていうじゃないか…

と思うんだけれど、距離が縮まった途端に態度を変える人、というのはどうやら世の中には一定数存在するらしい。しかもそういうタイプに限って外面が非常にいい場合が多い気がするのだから厄介である。

ところが普段なら大目に見ることができたであろうことも、コロナ禍の極限状況では到底無理になった。外出制限によって日常生活における行動範囲を狭められ、学校は休校、自宅でホームオフィスとホームスクーリングの二本立て。こんな状態が両立するはずもない。

あのよくわからない空白の3年間で、本性がダダ漏れになって目も当てられないような態度を取ってきた人も中にはいる。みんなが一様に大変だというのに、自分だけが大変だとなぜか思い込んだようで、その鬱憤をあからさまに投げつけてくるような人が実際にいたのである。

他人のことをサンドバックかゴミ箱くらいにしか考えてないな、この人。

その一方で、大変な境遇を共に乗り切ることで仲良くなった人もいる。ありがたいことに。2021年だっただろうか、近所のスーパーにDVの注意喚起のポスターが貼られていたのを思い出す。そのくらい当時の閉鎖感というものが半端なかったのである。

これもサバイバル能力なのだろうか。人は嫌な記憶は早々に忘れてしまうようにできている。2020年初頭から約3年続いたコロナ禍。2024年はいろいろとおかしな年だが、よく考えてみればあんなことが3年も続いたあとなのだからなんら不思議なことではない。経済的にもメンタル的にも弊害が出ていない方がおかしいくらいだ。パンデミックが明けたあとも負の連鎖的に戦争ばかりが立て続けに起こっているし、収束する気配も残念ながらない。

この負の連鎖を断ち切るにはどうすればいいのだろう。身近なところでは個人個人が心の平安を保てるように日々粛々と生活する、ということになるだろうか。そういうわけで、日常生活や人付き合いにおいても、めんどうなことや煩わしいことからはできるだけ遠ざかって生活をしたいと思うようになってきた。こんなことを意識しなければいけなくなったのはやはりコロナ禍の影響なのかもしれない。

できる範囲で無理をせず。シンプルに粛々と。




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