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卵巣がんざいちゃんです

 2023年5月30日。きょうからnoteをはじめてみる。なんでかっていうと、ちかごろ、大切な記憶が、ものすごい勢いで薄れていくのを感じているから。自分のためにも、これを読む人のためにも、忘れないうちに書き留めておこうと思う。

 で、何を書いて残したいのかというと、私が2020年に罹患した卵巣がんについて。タイトルに『卵巣がんざいちゃんです』と書いたのは、YouTubeチャンネルを一年半ほどやっているからで(2023年5月現在)、その中で私はいつも、「こんにちは!卵巣がんざいちゃんです。」と話しはじめている。だから、ここでも、一本目の投稿は、ざいちゃんですと名乗っておく。

 動画を御覧いただいたことがある方は、なぜ、文章になると『ですます調』ではないのか、少し違和感があるかもしれない。これについては、正直ちょっと迷った。私が書きやすいのはどちらか。話すように書いた方がすらすらと書けそうな気もした。

 でも、子宮全摘手術をしたころの日記というか、書きなぐったメモたちを見返すと、私は、です、ます、なんて書いてなかった。たとえば、

・着替えただけでも痛くて震えた
・病棟一周できた

そんな風にメモしてあるのだ。
 だから、その頃の自分に口調をあわせ、当時のつぶやきと、記憶に残っている景色や、感じたことなどを、ここに残していこうと思う。

 もともとYouTubeをはじめたのも、私の経験が誰かの役に立てば…という想いと共に、喉元過ぎれば熱さを忘れる自分への忘備録的な意味もあったのだけど、それとは別に、文章にも残しておきたいという気持ちも、ほんのりとあった。ずっとあった。
 でも、入退院を繰り返す中、動画を作って投稿するのが精一杯で日々が過ぎていき、気が付けば告知から3年を迎えていた。
 ふと、過去に作った動画を見返してみると、驚くくらいに忘れている。これは、やばい。今書かないと、本当に忘れちゃう。 
 
 そんなときに、神様が『書きなさい』と私に言っているかのように、当時のスケジュール帳のレフィルが、引き出しの奥からひょっこり出てきた。これは、もう書くしかない(笑)

 実は、私は2020年に、縦に2回大きくお腹を切っているのだけど、メモが残っているのは2度目の手術の翌日からで、告知されたころから初回の手術あたりのメモをどこかになくしてしまっていたのだ。他の年度のレフィルは本棚の決まった場所においてあるのに、この期間のものだけなくしていた。

 目を背けたくて別の場所にしまったのか、それとも、これは大切な記録だから、と引き出しの奥にしまったのか、今となっては思い出せない。ほら、やっぱり記憶にない。やばい。やっぱり今書こう(笑)

 そうはいっても完璧主義な自分が邪魔をして、書くと決めてから一カ月ほど経ってしまった。何から書き出してよいやら、と途方に暮れたり、伝え方の本を読み始めたりしつつ逃避しつづけた。『あぁ、これは一生書かないパターンだ、やばいやつだ』そう思って、さきほど突然パソコンに向かい始め、今こうして一本目の投稿を書いている。

 もう、この際、読み直したりもせず、がんがん書いていくことにしよう。もはや、だんだん独り言っぽくなってきたぞ。そうだ。そうだ。脳内のつぶやきをこのままここに残していこう。

 さて、こんな私のつぶやきをここまで読み進めてくれたあなたに、私のことを少しだけ知っておいてもらおうかな、と思う。

 YouTubeチャンネルでは、ただ、『ざいちゃん』とだけ名乗って、私が何者かということにはほとんど触れずにここまできた。それで充分だと思っていたし、がんに罹患したことをきっかけに、私は何者でもない裸の自分に戻れた気がしていて、ただのざいちゃんとして、過去をきりはなした自分で発信していきたかったのだと思う。

 けれど、告知から3年経った今、文章に残していくうえで、私の葛藤や迷いなども包み隠さず書いていこうと思うから、罹患前の自分のこともここで紹介しておきたい。

 50歳で罹患するまでの私を一言で表すと、『がんばりやさん』かな、と自分でも思うし、人からもよく言われてきた。

 子供の頃から、自分で言うのもなんだけど『優等生』で、どの先生からもとても可愛がられた。高校も進学校に進み、大学は地元の国立大学へ。その後、地方局のアナウンサーとなり、番組にもスタッフにも恵まれた。

 結婚退職ののち、2児の母となってからは、育児の傍ら猛勉強して気象予報士にもなった。下の子が幼稚園に通いはじめると同時に社会復帰。気象キャスターとして働きながらも、フリーアナウンサーの仕事も継続してきたし、気象予報士試験対策の本も出版。子供達が大きくなってからは、ナレーションの分野にもチャレンジして、その分野でも多くのご依頼に応えてきた。

 もうね、いまこうして書いていても、気持ちがざわざわする。がんばりすぎだよ、私。睡眠時間を削って仕事をした時間が長すぎるなぁって、振り返って思う。

 気象予報士に合格したあたりからかな、胸の中で『どこまで頑張り続けたらいいの?』みたいな漠然とした疑問をもっていたし、走り続けるのが正直しんどいと思っていた気がする。子供だって小さかったしね。

 それでも、がんばってない自分は自分じゃないみたいな感覚もあって、私が『すごい』と親が喜んでくれるって勝手な思い込みも握りしめたままだったし、子供達に対しても、尊敬されるママでいたかったし頑張る背中を見せたかった。
 とにかく、暴走列車をとめられずに走り続けてきた、がんばりやさん人生を生きてきたのだ。

 あぁ、ほんと全力疾走だったな。

 そんな私が、50歳で卵巣がんに罹患して、53歳の今に至るまでのことを、これから少しずつ書き溜めていこうと思う。

 あれ?また最初からがんばっちゃったかな。病気しても、なかなかこれはなおんないよ。次からはペースダウンして書いていくね。では、また♪

 
 
 

 


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