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2023年5月30日。きょうからnoteをはじめてみる。なんでかっていうと、ちかごろ、大切な記憶が、ものすごい勢いで薄れていくのを感じているから。自分のためにも、これを読む人のためにも、忘れないうちに書き留めておこうと思う。 で、何を書いて残したいのかというと、私が2020年に罹患した卵巣がんについて。タイトルに『卵巣がんざいちゃんです』と書いたのは、YouTubeチャンネルを一年半ほどやっているからで(2023年5月現在)、その中で私はいつも、「こんにちは!卵巣がんざ
卵巣がんかも?と分かった日は、どしゃぶりの雨に濡れて、身体も心も冷え冷えとした。翌日からは、ゆっくり休みたかったけれど、変わらず激務が待ち構えていた。スケジュール帳を見返すと、平日フルタイムでみっちり仕事をした上に、自宅ではナレーション収録をして納品したり、本の原稿を書いたりもしていた。何にそんなに追われるように働いていたのだろう? だって、千葉から都内への通勤だけでも、ドアtoドアで考えると往復3時間。それだけでも大変だったのに、どう考えても身体を酷使しすぎだったよね。
酷い便秘になって以来、3つ目の病院を受診することにした。ワイパーの速度をマックスにしても視界が危ういほど、激しい雨が降っていて、心も折れそうだった。でも、胃腸内科で問題ないと言われ、内科で卵巣が腫れていると言われ、とにかくとにかく、急いで婦人科にいかなければ、と思った。 いま受診したばかりの総合病院から、車で10分ほどの婦人科に向かっていた。新しくできた総合病院の婦人科。『ここなら、個人のお産中心の病院より、私みたいな50歳の患者も多いかな。』そう思い、選んだ。選ぶ基準
身体のあちこちに不調がでていたにも関わらず、私は仕事を休むこともなければ、トレーニングもエステも休まなかった。身体のメンテナンスも仕事の一部だと思っていたから、休むという選択肢がなかったのだ。 近所の胃腸内科で大腸カメラを入れ、腸は綺麗だと言われたことで、少し安心したところもあって、体調は悪かったけど働きながら次の休みを待った。 いざ休みの朝を迎えたころには、お化粧をする元気もなく、すっぴんのまま、近くの総合病院に向かった。便秘の他にもいろいろな症状があったから、と
加齢のせいにして見逃してしまったサインは、他にもあった。例えば頻尿。思い返せばやたらお手洗いに行っていた。人前に立つ仕事のときは、休憩のタイミングで必ず行った。尿意がなくても毎回も行った。なぜかというと、出しておかないとなんとなく不安。。。という感覚があったから。 若いころは、仕事の終わりまでお手洗いに行かないことも普通にあったし、長時間の司会でも、会場から離れることは殆どなかった。だが、告知を受ける前の私は、『途中でしたくなったら困っちゃうから』と、とにかく何度も何度
卵巣がんのサインは便秘や発熱だけではなかった。謎の体調不良が立て続けにあった。 ある日突然、脚がちぎれそうに痛い日があって、仕事場まではなんとか脚を引きずって行ったが(片道1時間半)、帰りはどうにもこうにもならなくて都内からタクシーに飛び乗った。仕事が終わってから最寄りの駅までの、5分ぐらいの距離が歩けなかった。 その日は大好きなメンバーでの飲み会があったのだけど、とても行ける状態ではなく、それでも顔だけでも見たくてタクシーを待たせ、脚を引きずりながら向かった。 「
出ない。どうやっても出ない。 出張先のベッドの上で、おなかをひたすらマッサージしたり便秘体操をしたり。なんとか出そうと私は四苦八苦していた。日数的には3日ほど出ていないという程度だったが、ホテルのビュッフェも沢山たべているのにコロンと少しずつしかでてくれないので、なんだかずっとお腹が張って苦しい感覚があったのだ。 ホテルの個室。家より硬いベッド。 『遠い昔にやった逆子体操に似てるなぁ…このポーズ』とか思いながら、いろんな体勢を試したりしたが、出ない。なんの気配もな