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33歳、ジュエラー行脚で過去と未来にハグされる(後編)

指輪探しの旅、完結編(サムネで盛大にネタバレしていくスタイル)。
ここまでの経緯はこちらから。

ハイジュエラーばかり見ていたものの、「石」を軸に探すのであれば、別の選択肢も考えたほうがいい気がする。

そう思って、追加で素敵な石を扱ういくつかのブランドを検討してみた。

真っ先に思いついたのはタツオナガハタのadoreリング(このオパールの、てりってりの遊色!)。

それに、フィリフヨンカ。

今考えている予算感なら、アルビジアだって選択肢に入れられる。
(魔力がこもってそうなシェルとルチルクォーツのダブレット、たまらん)

ハイジュエラーで見せていただいた、品行方正にきらめく宝石とはまた違う、個性豊かな石たちのオンパレードにため息が漏れる。

けれど。

漏れるけれどもその間もなんだか、先日目にしたロードライトガーネットの蠱惑的な紅色が頭を離れない。
これは一旦決着をつけなければ、と、ブシュロンへもう一度足を運ぶことにした。

今度は百貨店内の店舗ではなく、路面店へ。ちょうど有給休暇を取得する予定があったのでそれを利用し、腰を据えていろいろ見せていただく魂胆である。
来店予約はしていなかったけれど、平日昼間とあって店内は空いていた。すぐに奥の椅子(ふかふか)に案内される。

セルパンボエムが気になっている、と話すと、ガーネットだけでなく他の石も取り揃えていろいろ持ってきてくださった。マラカイト、ローズクォーツ、白蝶貝にアクアプレーズ。

ノーマークだったローズクォーツとアクアプレーズがふたつ並んでいる様を見て、私の中の女児が騒ぎだす。富豪のキキララじゃん。

キキ様
ララ様

思わずふらふらと手に取って着けてみると、ララ様(ローズクォーツ)は一瞬で私の指に埋没した。肌なじみのよいピンクゴールドと優しいピンクの石の組み合わせは、私の肌に乗せると馴染みが良すぎて存在感が薄れる。それでいて手を動かすときらっきらに光るので、自前の指にいきなり発光する機能が搭載されたような感じになって面白かった。

キキ様ことアクアプレーズのほうはその真逆で、肌の上で浮きあがって見えた。
朝露のようにきらきらと連なるホワイトゴールドの光の粒と、春の空のような、遠浅の海のような、清冽でやわらかい浅葱色。照明を反射しているというよりはむしろ内側からこんこんと湧き出ているような、まろやかな光。その光が肌を照らして、手全体をふんわりとトーンアップさせてくれる。
自分の肌にはホワイトゴールドはあまり似合わないと思って生きてきたけれど、なんだかこれは、すごく素敵だ。

そして再びの、ロードライトガーネット。

ローズクォーツと同じく地金はピンクゴールドだけれど、石の色が深い赤になると、可憐さやかわいらしさよりも優美さが前面に出る。
そっと指にはめると、埋没するわけでもなく浮き上がるわけでもなく、肌に寄り添って、しっくりと馴染んだ。

ああ、やっぱりこれは、私に必要な石だ。

前回試着した時の、浮き立つような気分の高揚はない。代わりに静かな確信があった。
しかしながら、直前につけたアクアプレーズもとても素敵。あたたかくなる今からの季節には、ガーネットの深紅は少々重いのではなかろうか。今はアクアプレーズを買って、次の節目でガーネット、そういう選択肢もあるのでは……。
いつの間にか複数買い集める頭になっていて怖い。セルパンボエム、沼である。
両手にそれぞれ浅黄と深紅の石をつけて見比べて……思案しているうちにそっと、店員さんが席を立った。そして、戻ってきた彼女の手にしたトレイに乗っていたものがこちら。

セルパンボエム 3モチーフ リング
セルパンボエム トワエモア リング


なんかとんでもねぇもん来た。

せっかくなので、もっとたくさん悩んでいただきたくて! とは彼女の言。
いや悩むも何も、これは完全に手が指輪に負けてしまうのでは……と思いつつ、圧倒的なきらめきに目が眩んで、ついひとつを手に取って着けてみる。まずはアクアプレーズとダイヤモンドの、華麗な3モチーフを。

驚いたことに、なんだか似合っている。しかも意外と、その日のカジュアルな服装にも馴染んだ。
夏、白いTシャツとデニムにさらっとこれを着けている人がいたら、鼻血が出るほど格好いいだろうなあと妄想が膨らむ。
……ただし、あくまで妄想で済まさないといけないお値段である。なにせ桁がひとつ上がる。

はー、よい体験をさせていただきました……と3モチーフをトレイに戻し、そして次はロードライトのトワエモア。
以前ある記事で「100歳のおばあちゃんになるまで着けたい」と夢想していたリングを、実際に手に取ることができるなんて。

本物を目にすると改めて実感する、圧倒的な地金のボリューム。
これこそ本当に、「手が指輪に負ける」のでは……?

そう思いながらはめた瞬間、ぶわっとある"絵"が頭に浮かんだ。20年、30年先、もっと年を取って皺が増えた自分の手と、そこに光る深紅の宝石の絵だ。

先ほどの3モチーフと同じく、それは意外なほど、今の私の手にもしっくりと馴染んでいる。施された細かな彫りと有機的なフォルムが、肌と金属を調和させる役割を果たしているようだ。けれど先ほどは見えなかった、未来視と言って差し支えないようなものが、どうにも頭から離れない。

「……これが似合う、50代になりたいです」

自然と口から、そんな言葉が漏れ出た。店員さんがにっこりと笑う。
「そうですね、今もお似合いですが、年齢とともにどんどんお手に馴染んでいくと思います」

驚いたのは、その着け心地の良さだ。他の指輪たちとは比べ物にならないくらいアームが太いトワエモアは、手に持った瞬間ずっしりと持ち重りを感じる。なのにつけてみると、指に吸い付くようなフィット感のせいか、思ったよりも重さを感じない。
さぞかし他の指に干渉するだろう……と思ったアームも、ほとんど気にならなかった。これなら日常でも、どんどんつけられそう。

そして実際に手に取ってみて驚嘆したのが、その細工の緻密さ!
セルパンボエムは「蛇」をモチーフにしたデザインだと聞いていたけれど、細いアームのものを見ているときは、正直あまりそのような印象を持っていなかった。
その点、トワエモアは正に蛇。たっぷりと豊かに地金を使ったアームには鱗のような彫りが施され、指の腹側からトップに向かって、優雅に湾曲しながらさらにボリュームを増していく。そしてその小さな金の鱗の連なりが恭しく掲げるのは、大粒のガーネット。こっくりと深いワインレッドの石は、1モチーフのものと比べて厚みが増しているせいか、底のほうからぎらりと迫力のある光り方をする。これは確かに蛇の鎌首だ。謎めいたうつくしさの中にとんでもなく危険な牙を隠した、蛇の頭。

セルパンボエムシリーズの特徴のひとつに、雫型の石を取り巻く地金のビーズがある。はじめはそれを、単に石を際立たせるための装飾に過ぎないと思っていた。けれど、トワエモアを着けてみるとデザインの意図が理解できる。これは本来、蛇の鱗の一部なのだ。優美な曲線を描いて流れる鱗、その最後の一列の先端を垂直に見下ろすと、ちょうどビーズのように見える。

石のひとつを正面から見た図

石を正面から見ると、繊細にきらめく小さな粒の連なり。横から見ると一転、有機的な鱗装飾の終着点。緻密に計算された美の仕掛けに、微かに眩暈がした。

指につけた状態で眺めたり、外してまじまじと見入ったり……なんだこれ、いつまでも眺めていられる。指輪というより美術品に近い目線で、鑑賞してしまう。

とはいえ即決できるお値段ではない。それになにしろこれは、庶民のお買い物。つい着回しのことを考えてしまう。使い勝手がよさそうなのはなんだかんだ、細いアームのものなのだ。
迷いに迷ってその場では決められず、品番を控えていただくにとどめた。

迷ったときは、長風呂だ。
湯船にスマホを持ち込んで、試着写真やブシュロンのHPを見返しながら考える。頻繁に目が留まるのはやはり、最後につけたトワエモアである。

たぶん、心はとうに決まっている。ただ、この節目で「それに決める」理由を、きちんと自分のなかで持っておきたい。

そう思いながら、公式ページのトワエモアの写真をもう一度表示させ、ふと気づいた。
よく考えるとこの蛇、頭がふたつあるんだな。

ガーネット=頭がふたつ

ふたつの頭を交差させている蛇。なんかそんなモチーフ、どこかで見た気がする。

ウロボロス? いや、あれは蛇が自分の尾を呑み込んでいる図案で、頭はひとつだ。
頭が複数ある蛇といえば八岐大蛇やヒュドラだけれど、あれらは頭が胴体から枝分かれしているタイプ。トワエモアの蛇は枝分かれではなくて、身体の両端に頭がついているように見える……あ。

アンフィスバエナだ!

メドゥーサがペルセウスに倒されたときに流した血から生まれたという、神話上のいきもの。

どこかで見た、と思ったのは、アンフィスバエナのひとつの頭が、もう片方の頭を咥えている図だった。

Wikipedia該当ページより

調べてみるとこの体勢は、アンフィスバエナが移動するときのものらしい。こうして車輪のような形になり、転がって移動する習性があるとのこと(目が回りそう)。

そうか、トワエモアリングの蛇よ、あなたはかのアンフィスバエナだったのか。そして、今にも移動しようとしているところを、指輪にかたどられたのか。
おそらくブシュロン氏の意図とは全然違うのだろうけれど、一度そう思ってしまうとその考えが頭から離れない。

noteで主にファッションについて素敵な記事を書かれているぽたまるさんが、以前こんなことをおっしゃっていた。

私はジュエリーにストーリーを求めていたけれど、ジュエラーの作品ってむしろ、イメージを限定しないように出来ているんじゃないか?世界観の概要は確かに提示されているけれど、具体的にどう捉えるかは個人の自由、つまりはアート。

リング100本試着したらアイデンティティを彩りたくなった話

なるほど、それってこういうことだったのね。自分もジュエラー巡りをしてみて、改めて腑に落ちる。
私にとってトワエモアリングは、今まさに前に進もうとしている双頭の蛇。そうとしか思えないので、そう思うことにした。

そして、ああ! と思わず頭の中で叫ぶ。それってなんだか、キャリアの転機を迎えた今の私のお守りにとってもふさわしいのではないだろうか。怪物の血から生まれた毒蛇という由来は不吉にも思えるけれど、メドゥーサは元来、トルコで地母神として信仰されていたとも聞く(うちにもその名残と言われる、青いガラスの眼のお守りがある)。それに強い毒を孕んだ蛇のほうが、悪いものを退ける力は大きいのではないだろうか。ときには耐え難い出来事も起こる人生を上手に泳ぎ切る、智慧と力を授けてくれるのではないだろうか。

……そんな数々の永い言い訳を経て、うつくしい双頭の蛇が我が家にやってきた。

通常版よりも地金の黄味が強くて、そこも好き

受け取るときにお店の方から教えていただいたことには、トワエモアという指輪の名前はフランス語で「あなたと私」という意味らしい。
あなたと私。
結婚5周年記念ということで言えば、夫と私、という解釈がぴったりだ。でも、キャリアの節目という文脈でいうと……?

すうっと、私と私、という言葉が浮かんだ。
アンフィスバエナが導いてくれる先にいるだろう、未来の私。
そしてかの蛇と出会わせてくれたのは、今までの――過去の私。

そう考えると指輪のデザインは、過去と未来、ふたりの私が「今の私」の指をそっとハグしてくれているようにも見えてくる。

ポエティックすぎるだろうか?
でも許してほしい。家と車に次ぐ、人生で最も高い買い物のひとつをしたところなので。ますます頑張って働かないといけないので。

ひとつ前の記事にも書いたけれど、私は最近キャリアチェンジをした。それは自分で望んだことではあるが、手放しに前向きなものと言えるわけではない。
いつか後悔するかもしれない、こんなはずじゃなかったと思うかもしれない。
けれどそんなときもこの指輪を見れば、その瞬間の自分の最善を尽くそうと思える気がした。

こうして当初決めていた条件とは外れに外れ、大きな石がついた、職場には到底つけていけないような指輪を手に入れることになった。
でもいいのだ。平日は秘密のペットを飼っているような心持で、家に帰ったらそっと宝石箱ケージを覗こう。休日は豪奢なきらめきに臆さず、どんどん散歩に連れ出そう。小さな蛇が安心して居心地よくとぐろを巻けるような、優しくあたたかく力強い手の持ち主を目指そう。

そうして重ねた年月がだんだん、私の手を素敵にしてくれると信じている。

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