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ラブソングが選べなくても

数年前、結婚式をすることになったとき、ひそかにとても楽しみにしていた準備が「BGM選び」だった。入場や乾杯、ケーキ入刀などの山場で掛ける音楽を自分で選ぶのである。

特にこだわりがない場合は式場に任せることもできたのだけれど、ぜひ自分で選びたいと思っていた。
私と夫は二人とも、大学では軽音楽部に所属していて、音楽の趣味は合うほうだし、式には当時の部活仲間もたくさん来る。これはもう、こだわりにこだわって二人の好きな曲を選びたい。そうすれば、この世のどこかにあると噂される「私らしい結婚式」に一歩近づくのでは!? と、ワクワクしていた。自己満足万歳。

で、気合を入れて検討し始めたのだけれども、どうにも調子が良くない。
どうせならただ好きというだけじゃなくて、結婚式というTPOに合った曲を選びたいのに、新郎新婦のプレイリストに「それっぽい」曲が全くないのだ。いわゆるハッピーな感じのラブソングが皆無。のみならず、微妙に罠が仕掛けられている楽曲も多い。

例えば私のプレイリストで一二を争う楽曲数を誇る、相対性理論や椎名林檎。
別に軽音楽部メンバーだけの場ならいいんだろうけど、両家のおばあちゃんとかがいる場で

先生 聞きたいことまだあるよ
年下じゃいけないの

地獄先生/相対性理論

って流せるか? 無理じゃない?

嗚呼 しくじった しくじった まただわ

積み木遊び/椎名林檎

って流したら「しくじった!? また!? 何を!!??」ってならない??

ちなみに当時いちばんハマって繰り返し聞いていた曲は椎名林檎の『人生は夢だらけ』だったのですが(かんぽ生命のCMソングにもなってましたね)、夢みるような三拍子のリズムとオケのアレンジがほんとにもうとてもとても大好きで絶対結婚式でも流したいと思っていたのですが、歌詞をよくよく聞くと

あの人に愛して貰えない今日を正面切って進もうにも難しいがしかし

人生は夢だらけ/椎名林檎

という一節があったので諦めました。あの人って誰よ。

考えすぎだよ~~~というお声もあろうかと拝察するが、結婚準備特化のWEBメディアやインスタなんかでホスト側のマナーを血眼になって調べまくっていた当時の私からすると、せっかく来てくださる方々に少しでも「ん?」と思われる可能性は考えうる限り排したかったのだ。だって発言小町とか見てると非常識な新婦を糾弾するエピソードが無限に出てくるんだもん。今なら自分でもわかる、考えすぎだよ。
でも当時は忙しさと高揚感と焦りと自己顕示欲とその他もろもろでそういう冷静な判断ができず、ひたすら好きな歌の歌詞を確認しては、ああでもないこうでもないと悩んでいた。

悩んだ挙句、もう結婚式っぽいかどうかは気にしないことにした。純粋に好きな曲の中から、プログラムごとの雰囲気に合った曲調を優先して、歌詞はマイナス要素がなければオッケーと割り切った。
門出っぽい感じとかラブソングっぽい雰囲気とか、そういう「プラスの意味でふさわしい歌詞かどうか」はとりあえず気にしないでいいやと思ったら、やっとなんだか楽しくなってきた。その過程で夫のお色直し時の退場曲がSAKEROCKの『MUDA』になったりして面白かったです。ゆるすぎる。

そうやってなんとか選定を進め、最後の1曲――披露宴のおひらき、退場時に流す曲まで辿り着いた。候補のひとつに東京事変の『キラーチューン』があった。華やかなアップテンポの曲調が、宴の終わりを楽しく締めくくってくれそう。

一応歌詞もチェックしておこうと、曲を再生する。
大好きな歌い出し、『贅沢は味方』――いいねいいね。歌詞もいいかも。当時の私たちにとって結婚式は人生で一番高額な買い物だったので、この歌詞をBGMに披露宴会場を闊歩するのは、なんだか愉快なアイデアのように思えた。

曲がサビに差し掛かる。と、あるフレーズが唐突に耳を刺して、えっ、と思った。
こんな歌詞だっけ?
こんな言葉があったっけ?

好きな歌ではあったけれど、そういえば歌詞は冒頭のイメージが強過ぎて、全体を真面目に追ったことがなかったのだった。そのフレーズも間違いなく聴いてはいたのだけれど、半分ただの文字列として認識していたのだと思う。

驚いてもう一度再生し直そうとする私の手を、軽やかなドラムのフィルイン、浮き立つようなギターのカッティングが押しとどめる。晴れやかなピアノのグリッサンドに、戸惑いが押し流されてゆく。
自然と口角が上がるのを感じた。ああ、これは結婚式のための曲だ。晴れがましくて、祝祭的で、盲目的な(だってそうじゃないと結婚なんてできるわけない)、まごうことなきラブソング!

これがもしかして、セレンディピティというやつかしら。
私のプレイリストからじゃあ幸せなラブソングなんてちっとも選べない、と思っていたのに、ずっと好きだった曲の別の一面に、このタイミングで気づくなんて。

結婚式当日、披露宴の終わり。「新郎新婦の退場です!」という司会の方の声にかぶさるように、最初のピアノの和音が響く。伸びやかなのにどこか挑みかかるようなボーカル、弾むベース。終わってしまった、という少しの寂しさを洗い流すように、多幸感が押し寄せる。

こぢんまりした披露宴会場の、高砂から出口までは意外に近くて、衝撃を受けたあの歌詞に到達するよりも早く、私たちは退出してしまった。だから花とワインに囲まれたあの空間で、その一節がどういうふうに響いたか、私は結局知らない。

けれど今でも『キラーチューン』を聞くたびに、曲がサビに差し掛かるたびに、あのあかるく幸福な一日が鮮やかに思い出される。
それまでかけらも愛を歌っているという受け取り方をしていなかった曲なのに、状況って人の感性までも変えてしまうんだなあ。少し可笑しく思いながら、つい一緒に口ずさんでしまう。

『貴方は 私の 一生もの』――と。



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