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あこがれ知性

Twitterが好きで、通勤や長風呂の間に眺めていると、どんどん時間がたってしまう。

吹き出してしまうような軽妙な語り口の人あり、かわいい動物の写真を惜しみなく見せてくれる人あり、自分とは全く違う生き方のさまを覗かせてくれる人あり。ただただこちらが一方的に親しみや尊敬を覚えている人が、楽しそうにしているところを垣間見られるのもうれしい。140字という絶妙な文字制限のせいか、気づくと際限なくタイムラインを遡っている。

遡っていると、ときどき、あっ、と思うことがある。
あっ、知性だ!!

最近もこちらのツイートを見て、あっ、と思った。知性だ。

プロフィールを拝見すると青学の教授でいらっしゃるとのことで、私のような者が「知性だ!」なんて言うのもかえって失礼な話なのかもしれないのだが、とかくそのときはそう思ったのだった。スマートフォンの液晶上に突如顕現した知性。

Twitterには研究者やいわゆる士業の方がカジュアルに跋扈(言い方)していて、私はそういった方たちをわりとフォローしているので、タイミングによっては専門知識に裏打ちされた含蓄に富むフレーズがばんばん流れてくる。けれども先のツイートはやっぱりちょっと特別で、何がそんなに私に刺さったのかと考えてみると、AI作画と創世記という時間的断絶に関して言えばこれ以上ないだろうという二つのモチーフを鮮やかに接続して見せたという点に衝撃を受けたのだと思う。それも140字以内で。

AI作画は確かに最近見る機会が段違いに増え、自分でも「お絵描きばりぐっどくん」をLINEで友達追加した。センスのある人がセンスのあるキーワードでシュールな絵を生み出しているのを見るのは楽しい。泳ぐのが得意なオフィーリアとかふわふわの寿司のぬいぐるみとか。
創世記もまあなんとなく知ってる。中学2年生がよく罹るという病の一環で聖書は旧約新約一通り履修したし、だいたい「神話」というものが好きなのでその手のワードには敏感だ。

でもこの二つを繋げるのは私には無理、逆立ちしても無理。この知識を持ってはいるけれど無理。AI作画おもしろいわね、創世記壮大で意味深で萌えるわね、で終わる。

「AI作画は言葉を用いて行われる」「創世記において世界は『光あれ』という言葉から始まる」、という二つの知識を持っている人は少なくないのだろうけれど、双方を結びつけることができる人はそう多くはないように思える。知識を蓄えるだけでなく、それらをつなぎ合わせて道を作ったり、新しい仮定を提供するという営みは誰にでもできることではなくて、研究者というのはそれこそを生業にしている人々なのだなあと実感した出来事だった。

あこがれる。


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