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バルダーズ・ゲート3という人生の話

本記事は今年の2月に書きかけて挫折していたものですが、大規模なパッチの予告がきた上サマーセール(8/14まで20%引き!)の対象となっている……という波を感知して書き上げられました。今こそ布教の時。
(18歳以上の方の)夏休みのお供にいかがでしょうか。

バルダーズゲート3は良いぞ

以前の記事でハマっていると書いたバルダーズ・ゲート3(以下BG3)。
プレイ時間200を超えて、やっとクリアした。

たぶんゲームの1周目としては人生でいちばん時間をかけていて、それなのにぜんぜん飽きなかったし、なんなら冒険がもっと続いてほしいとすら思った。始めてから、本は読めないし食事はほぼ鍋になったし仕事はめっちゃ効率化して(一刻も早く仕事を終わらせてゲームをしたいから)、生活ははちゃめちゃである。

なんでこんなことになったのか?
今日はそのことについて書き、あわよくば誰かを沼に引きずり込みたい。


■そもそもどんなゲームなのか

頭に寄生生物を入れられた主人公が、それを取り除くために同じ境遇の仲間たちと旅をして、森や地下世界や街や地獄を探索したり敵と戦ったりします。
大まかな話の筋としてはそれだけ。世界観はいわゆる剣と魔法のファンタジー。世界最古のロールプレイングゲーム、『ダンジョン・アンド・ドラゴンズ』をベースにしたゲームらしい。

■複雑な世界観のなかで出会う「わからない」が楽しい

そんなわけでゲームの舞台は、いわゆる洋風のファンタジー世界そのものだ。エルフもゴブリンもいるしドラゴンも出てくるよ。

だけどその「お約束」めいたイメージを軽々超えて、BG3の世界観は分厚い。冒険の初手からわけのわからない固有名詞がバンバン出てくるし、そこに説明がなされないことも多い。

マインド・フレイヤーってなに? ソード・コーストってどこ? デヴィルとデーモンってなんか違うの? アンダーダークってなにさ? ハーパーとか鉄の手とか勢力分かれすぎじゃない? 結局誰が味方で誰が敵なの??

元となっている『ダンジョン・アンド・ドラゴンズ』の予備知識があればわかるのだろうけれど、こちとら「なんかクマちゃんとかネコちゃんと一緒に冒険ができるゲームがあるらしい」と聞いてホイホイ購入したライトユーザーである。ひとつもわからぬ。

わからぬのだけど、冒険を進めていろんな人から話を聞いたり、そこら中に落ちている本を読んだりしていくうちに、なんとなくそこの輪郭が見えてきて、これがとても楽しい。

それもね、本1冊読んだり人ひとりと話したらすぐわかるとかじゃなくて、何冊もの本やメモの記述を集めたりいろんなひととの会話の断片を繋ぎ合わせることで巨大なもの(文化だったり、社会構造だったり、誰かの企みだったり)の全容がちょっとずつちょっとずつ見えてくるんです。ふと拾った本の一文で、だいぶ前に通行人からちらっと聞いたわけわかんない話に突然合点が行ったりする。このカタルシスよ!!

ぜんぜんわからなかったものの意味があるとき急に立ち上がってくるこの感じ、本当に別の世界に迷い込んでサバイブしているみたい。好奇心がこれでもかと刺激される。

世界観を構成する要素の中で、私にとって特に興味深いのが信仰と宗教だ。
この世界では種族や主義ごとにいろいろな神様が信仰されていて、なかには対立している宗教もある。仲間のうちにも神様と因縁のある人が多く、ゲームのシナリオ全体を通して神と信仰がとても重要なキーになっているので、ここを理解できればできるほどプレイが楽しくなるなあ、と感じている。

はじめはたくさん出てくる神様らしき名前がぜんぜん見分けられなかったのだけれど、何度も関連書籍に行き当たったり、実際にある神を信仰するキャラクターと話をしたりするうちに、おぼろげながらも教義や神話がイメージできるようになってくる。ふと入った寺院に掲げてあるシンボルを見て、「これはあの神様の神域……!」てな感じでピンときたときは、一気に世界と自分の距離が縮まったような気持になった。

複雑さ、という意味では、大陸の中で活躍したり暗躍したりする組織がたくさんあって、それらが一筋縄でいかない勢力図を描いている、という構図も、面白さの要因だなあと思う。
単なる善と悪の二元論だけじゃなくて、それぞれの組織がそれぞれの理屈と利害で動いていて、ひとつの組織の中でも分かり合えそうな人とそうでない人のグラデーションがあって。

そういう舞台だから、主人公が「どちら側」につくかも決まっていない。
プレイヤーは必ずしも善である必要はなく、殺戮と略奪を繰り返す集団に与してピカレスク・ロマンの主人公になってもいいし、対立する集団それぞれに二枚舌を使って双方から利潤を掠め取ってもいい。
そもそもいわゆる「善人プレイ」をしようとしても、完全な善人になれるほど、世界の構造が単純になっていないのだ。善悪二項対立の物語であれば完全な悪の集団とされそうな組織もあるにはあるのだけれど、内に入り込むとその集団ならではの一応筋が通った秩序や正義が見え、なによりその構成員にもひとりひとり名前がついているし話しかけると案外気さくに対応してくれるので、いざ敵対すると少し心が痛む。

■敵も味方もダイス次第

そして余計に面白いのが、そうやってさまざまな集団やキャラクター個人とどんな関係を築こうか? と考えながらも、それが自分の思い通りにならないこともある、ということ。

このゲームでは、重要な行動をとる際に1~20まで数字がふられたダイスを振ることになり、出た目によってその行動の成功/失敗が決定する。
わかりやすいのが宝箱の開錠。ワールド内にいくつもある宝箱にはそれぞれ開錠の難易度が設定されていて、平凡なアイテムが入っているものならだいたい10以上の目を出せば開けられるのだけれど、貴重なものが入っている箱だと、20以上の目を要求されることもある。
鍵開けに挑戦するキャラクターの能力値やアイテム・呪文なんかでダイスの目にボーナスが加算されるので、それらを上手に使って対応していくことになるのだけれど、それにも限界があって、とてもいいものが入っていそうなのにあきらめなければいけなかった宝箱もあった。

で、このダイスシステム。登場人物との会話にも適用されている。

たとえば敵対しそうな勢力のボスを説得したいとき、あからさまによくない選択をしようとしている仲間を止めたいとき、立ち入り禁止エリアに入ったのを衛兵に見とがめられて、見逃してほしいとき。

この選択肢を選んだら、きっと事態は好転するよね……? という会話の選択肢を選ぼうとすると、決まってダイスロールが発生する。あるキャラクターが敵対するか仲間になるかの瀬戸際が、サイコロの目にかかっている、というような事態がままある。

はじめはそれがストレスだった。できれば安全に旅をしたいし、攻略に役立ちそうな情報はくまなく持っておきたいし、できるだけたくさんの人を仲間にしたい。ここぞというところでダイスが妙な目を出すたびに、セーブ&ロードでダイスロールをやり直しては、効率が悪いなあとため息をついていた。

途中からもうそれが面倒になって、出た目が自分の意に沿わなかろうが素直に従うようになった。

ゲームが一気に面白くなったのがそれからだ。

思い通りの目が出ればもちろんうれしい。けれどダイスロールが失敗したときに(たいてい、それは自陣営がピンチに陥ることを意味する)、失意に呻きながらも今いる仲間と手持ちの武器、魔法、スキルをフル活用してその場を何とか乗り切った瞬間に放出されるアドレナリンの量ときたら!
何気なく持っていた武器や、使いどころがわからず持て余していた魔法が、予想外のピンチによって急に輝く瞬間はちょっと癖になる。

ゲームの終盤、ダイスロールの失敗によって思い入れのある仲間と袂を分かつことになってしまったときも、最後まで迷ったけれど、やり直しはしなかった。

■ロール・プレイング・ゲームという人生のこと

いくら効率的で王道を行くプレイをしようと意気込んでも、ダイスという偶然によって、時にその目論見は一瞬で崩れ去ってしまう。
そのシステムに慣れてくると、ゲームの中で無数に出てくる選択肢の選び方に対しても、少し意識が変わってきた。

プレイヤーはゲームを始める際に、自分の分身となるようなキャラクターを作ることになる。外見、種族(エルフとか人間とか)、職業、生まれ、資質などをかなり細かく設定でき、その自由度はかなり高い。

せっかくそんなふうに自分の好きなキャラクターを作ったのに、いざゲームを始めてみると、私はほかの登場人物との会話や自分の行動を決める選択肢――無数に出てくる――において、無意識に「ゲーム進行上有利になりそうなもの」を選んでいた。
目の前にいる人(のこともあるし、人じゃないこともある)にはなるべく友好的に。人からの頼みはどんどん引き受けて(何かもらえるかもしれないし)。争いはなるべく避けられそうな選択肢を……。

そうするとどうなるかというと、自分の分身ともいえるキャラクターがどんどん八方美人になっていくのだ。ティーフリング(悪魔との混血児)にもエルフにもゴブリンにも一旦はいい顔をしておいて、状況判断のための手札がそろったところで、じっくりどの陣営につくかを判断するような動きをすることになる。

一方で、次第に増えてくる旅の仲間たちは、行動規範も嗜好も人柄も非常にはっきりしている。彼らは彼らの確固たる価値観に則って、プレイヤーの選択が気に入れば褒めてくれるし、気に入らなければ、それが明らかに自分の陣営に有利な選択であっても容赦なくブーイングしてくる。

そんな個性の強い、だからこそ魅力的な他のキャラクターに比べ、旅のリーダー(私)はいつのまにか、優柔不断で良いカッコしいでおまけに業突く張りという、中途半端かつあまり好感が持てないタイプの、映画や小説であれば完全に脇役(敵寄り)のキャラクターに成り下がっていた。なんでみんなついてきてくれてるの。

別にそういう人格を目指してプレイしているならいいんだろうけれど、私のこれは完全に、メタ的に目の前の利益を追求した結果の産物である。しかもゲーム進行の効率性を重んじてそうなってしまったというのに、ダイスロールシステムに阻まれてその効率性ですら実現できていない。

これではいけねぇ。せっかく自分の理想を詰め込んだ激カワハーフエルフさん(職業は吟遊詩人バード)をキャラメイクしたのに、この子にこんな人生をそのまま歩ませてはいけない!

そう思った瞬間、このゲームがRPGロールプレイングゲームであることの意味が初めて腑に落ちた。ゲームの中であれほど頻繁に、多彩な選択肢が示されるのは、その中から「正解」を選べという意味ではない。そうではなくて、自分の想定する人格できっちりロールプレイングが表現できるよう、あれだけの分岐が用意されているのだ。

いわゆるTRPGに慣れた人にとっては当たり前のことかもしれない。
けれど私がこれまで遊んできたゲームでは基本的に主人公のセリフは決まっていて、選択肢が出る際にはゲームのシナリオ自体を左右するような「重要な選択」を迫られるタイミングも多かったので、あるキャラクターの人格を表現するためにセリフを選ぶ、ということになじみがなかったのだった。

そのことを頭においてキャラメイクの幅や会話の選択肢を思い返してみると、改めてこのゲームで形成できる人格の幅広さに舌を巻くことになった。
我々はこのゲームにおいて、どんな人格でも演じられる。無垢な世間知らずでも、誇り高き英雄でも、サイコパスでも、守銭奴でも、狂信者でも、なんでも。

そのことに気づいたときにはもう、ゲームは中盤に差し掛かっていた。私のバードはそこまでなんとも中途半端な小物として生きてきてしまったので、いまさら人格をがらりと変えようとするのも違和感がある。
だからせめて、きちんと設定を考えた。八方美人で小ずるいところもあるけれど、仲間の願いはできるだけ叶えたいと思っていて、根は善良。動物と宴が好きで、楽しくなるとすぐ歌いだす。

今後の行動が大きく変わることはないのだろうけれど、この人はこういう性格だ、ということを念頭に置いて選択肢を吟味するだけで、俄然そのキャラクターがゲームの中で「生きている」、と感じられるようになった。


※ここから17,000通りのエンディングのうち2通りについてふんわり触れています
ネタバレは一切見たくないという方はご注意ください

バルダーズゲート3はいいぞ


先日、私と夫はそれぞれのセーブデータの中で、このゲームのエンディングを迎えた。
夫の分身(ティーフリングのドルイド、気は優しくて力持ち、森育ちで善悪の区別が薄いけれどこの上なくピュア)は最後の最後に自己犠牲の極みのような結末を選び取り、私の分身(ハーフエルフのバード、宴好きの八方美人、要領よく立ち回ろうとして貧乏くじを引きがち)はちゃっかりしっかり寄生虫を取り除いた上で、うっかり情にほだされた結果恋人を故郷に残して地獄(比喩ではなく、文字通りの地獄)で元気いっぱい冒険することになった。

君のキャラクターらしいねとお互いに言い合った後、エンドロールが終わった後の彼らの人生について、しばらくの間思いを馳せた。




最推しのプレイ日記を置いておきます。
ネタバレどんとこいでストーリーや魅力を詳しく知りたい方はぜひ~


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