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なんてことないグラスをふたつ

この時期のnoteのお楽しみといえば、「今年買ってよかったもの」の記事である。
ただでさえ楽しいお買い物の、一年の総決算。読んでいるとむずむずとお買い物をしたくなって、少し危険だ。

さて私の買ってよかったものはなんだろなと振り返ってみたら、上半期に出会ったものが大半で、だいたいこの記事で書いてしまっていた。

あらら。

じゃあ今年はもう書かなくてもいいかな、と思っていた矢先、滑り込みでよきものふたつとご縁があった。

実はふたつとも、グラスだ。
古くてちいさいのと、新しくて大ぶりなのと。

古くてちいさい方を手に入れたのは、12月頭に開催された「関西蚤の市」。
ぴかりと晴れた青空の下、だだっぴろい万博記念公園の広場に数えきれないテントが立って、ふるいもの新しいもの便利なもの何に使うかわからないもの、この世のありとあらゆる雑貨がひしめき合っていた。その光景の祝祭めいたあかるさと、芝生を踏みしめる靴裏の感触に心浮き立ちながら、宝探しのような気持ちで見て回る。

こういう場所で、古びた手動のコーヒーミルとか、錆び付いた工具とか、シュールな顔つきの人形とか、指先ほどのガラス瓶とか、年を経て飴色になった木製の椅子や飾り棚とか、そういった古く愛らしいものを持ち帰って生活の中にうまいこと溶け込ませる、ということができる人にずっと憧れている。
けれども、私のセンスと生活様式ではそれはなかなか難しい。

こういう人間の福音となるのが食器である。どう使えばいいかがわかりやすくて、見た目も素敵。ヴィンテージやアンティークへの憧れを叶えつつ、いざ手に入れると持てあましてしまいそう、という危惧をきれいに解消してくれる。
そんなわけで陶器や磁器、ガラスの気配がするテントへ次々と自動的に吸い寄せられていく中、このグラスを見つけた。グラスというよりはコップという風情の、高さ10センチに満たないちいさな器である。ちょうど宴会なんかで瓶ビールと一緒に供されるような、円柱型の。

もともと、ちいさなビールグラスが欲しかったのだ。いつか泊まった旅館で湯上りにクラフトビールをかわいらしいサイズのコップに少しずつ注いで飲むのがなんだかとてもよくて、あれを家でもやりたいなあ、と思っていた。
ちょこちょこ探してはいたのだけれど、シンプルすぎて味気なかったり、逆に模様やロゴの主張が激しくて料理によってはなじまなさそうだったりと、意外とほしいと思うものが見つからなかったのだった。

このコップは一見とてもシンプル。けれどよく見ると片側にアサヒビール、裏側には三ツ矢サイダーのロゴマークが白いざらついたインクで印刷されていて、レトロな書体が思わず両手で包み込みたくなるようなかわいらしさを醸しだしている。光に透かしたとき、かすかに淡い黄緑色のニュアンスや表面のゆらぎが見えるところも、いかにも昔のガラス製品、という感じで好もしくて、一目で気に入った。

使用感はないので、たぶん、飲食店向けに作られた販促品のデッドストックなんだろう。
いまのお酒売り場で見ることはない、日の出を模したロゴは、調べてみると明治時代の創業当初から使われていたものだそう。まさかその時代のものではないだろうけれど……新品同然の状態である分、箱の中に封入されていた古き良き時代の香りが突然手の中によみがえったようで、不思議な気持ちになった。

普段ビールを飲むときは、たいてい錫製の背の高いタンブラーを使っていたのだけれど、最近はこのコップを手に取ることが多い。家で作るなんてことないおかずの隣に佇んでいる姿が、なんとも可憐なのだ。
鍋物や煮物といった、身体が温まるような食べ物を食べるとき、このちいさなコップにかわいらしい量のビールを注いで「きゅっ」とやると、いかにも冬に似つかわしい味がする。
ちいさいぶん注ぐ回数が増えて、それでたくさん飲んだような気持になるので、いやしんぼとしてはそこもうれしい。

さて、新しくて大ぶりなほうも、本当は同じ蚤の市で見つけるつもりだった。古くてちいさいほうは、どちらかというとこれを探し回っていたら偶然出会ってしまった、というのが実は正しい。

蚤の市に向かう少し前に、愛用していたグラスにひびを入れてしまったのである。10年以上前に地元で購入した、名もなきグラスなのだけれど、ほどよい厚みと大きさで、気を遣わずに取り廻せるところが気に入っていた。

ひとしきりショックを受けて、グラスは他にもあるといえどそいつほど使い勝手のよいものではなく、代わりのものを探すことにした。

まあなんてことないシンプルなグラスだし、すぐ似たようなのが見つかるでしょう。と思って探し始めたものの、使いやすさとデザインを両立するものとなると、なかなか見つからない。

前からちょっといいなと思っていたうすはりのグラスは口当たりがよさそうでデザインも好きだけれど、実際手に取ってみると扱うのに少し気を使いそう。蚤の市で見つけたイッタラのヴィンテージグラスは、雨だれのような意匠がとてもうつくしくて素敵。でも普段使いにするにはやや繊細過ぎるし、口がやや狭くて背が高く、夫の手の大きさだとおそらく洗うのに苦労する。飲食店でよく見る、ころんとした丸っこくてかわいいグラスも同じく。

探すうちにやけになってきて、普段の生活で使い倒す用のシンプルなものが欲しいなら、いっそ百均とかでいいのでは? と思うも、訪ねた店舗が悪かったのか、売り場のグラスにべたべた指紋汚れがついているのに萎え(何がちがうのか、妙に指紋が付きやすいガラスってありません?)……。

「これじゃない」「惜しい」に出会うたび、欲しいグラスの要件が鮮明になっていく。暑い日やお風呂上りに麦茶をたっぷり注いで、ごくごく飲める大きさがよい。上のほうが広がっている形で(手を入れて洗いやすいから)、酔っぱらった状態で雑に扱っても安心できるくらいの厚みがほしい。そしてなにより愛着がわくデザインの……なくして初めてわかる大切さ。名もなきグラスよ、お前はえらいやつだったのだなぁ。

と、しみじみしながら探していたので、ふらっと入った雑貨店で条件をすべて満たすものに行き会った際は思わずおおっ、と声が出た。一緒に出掛けていた夫と目を見かわして、誇張なく手に取って10秒以内にレジへ向かっていたと思う。

大ぶりなサイズでたっぷり飲めて、上から見たときのフォルムが真円ではなくやや楕円型になっているからか、大きさの割に手になじむ。ほどよい厚みの透明なガラスで、口も広くて洗いやすい。
なによりデザインが好きだ。金属製の雑貨だとたまにある、槌目のような模様がついていて、陽が当たるとその凹凸が控えめに光を反射するさまがきれいで見飽きない。冷たい麦茶がとてもおいしそうに見えるし、ハイボールも映える。ああよいものを見つけた、と、ほくほくしている。

こうして長々と書いてみたものの、ふたつとも、言ってみればただのグラスである。特段高価なわけでもない、デザインがとても凝っているわけでもない、なんてことないただのグラス。
それでも「買ってよかったもの」と聞いて浮かぶほどすでに愛着がわいているのは、ずっと探していた、条件にぴったりくるものがようやく見つかった、という喜びが大きいのだろうな。

ふだん「かわいい!」と思った雑貨の衝動買いをしてしまったり、逆に間に合わせで買うものを選んでしまったりすることも多いのだけれど、ほしいものの条件を設定してじっくり探す、ということの楽しさを改めて教えてくれたお買い物だった。


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