見出し画像

9歳で母を失った子供が父になるまでの手記 ―サードマン・地蔵菩薩の見つけ方

前回の記事「9歳で母を失った交通死亡事故遺族の手記 ― 母の死と喪失の悲しみ」だけではその後の発展が読み取れないし。【氷河期世代も諦めなかった!】中国で這い上がった男の逆転劇!若者が海外就労で成功する秘訣だけではポジティブすぎるので、今日は悲劇からのポジティブの狭間の過程と視点を書きます。「サードマン・地蔵菩薩」の見つけ方がポイントです


 母を失った深い悲しみと般若心経

母のお通夜とお葬式に曹洞宗のお坊さんが見えられて摩訶般若波羅蜜多心経などいくつかのお経を唱えてくれました。母親に天国にいってほしい一心でそれらのお経を一生懸命唱えていたのですが般若心経の意味もわからず「阿耨多羅三藐三菩提(アノクタラサンミャクサンボダイ)」を
チベットかガンダーラかこの世界にある「あのクタラ山脈」にいつか行ってみたい。と思ったことを覚えています。その後本当にチベットに行ったのもこれがきっかけかもしれません。

 サードマン・地蔵菩薩の見つけ方

教育熱心だった母親を失った家庭は悲惨なもので、昭和な父親はそれでも懸命に子供を育て守ってくれていましたが無自覚なネグレクトで、自助・共助・公助の使い方も誰も知らずにいたような状況でした。

そんな状況でも何とか大きな過ちも犯さず社会人になれたのは、ご近所の方々や、同級生のご両親、親戚や学校の先生などが、それぞれその瞬間にできる救いを与えてくれたというのでしょうか。気に掛ける言葉をかけてくれたり、同級生に「あの子はどうしてるの?」と気遣いしてくれたり、ある日突然お家に招待してくれて母親などの思い出話を聞かせてくれたりと多くの人々が助けてくれたお陰です。

「漫街の人、皆これ地蔵菩薩なり」そういった人達は私がラッキーだったり特殊だったわけではなく、妹にも弟にもそういった人がそれぞれ手を差し伸べてくれていました。苦しい立場にいる人は迷惑をかけてると自分が思わない範囲で甘えてほしいですし、周りで見守ってくださっている皆さんには一寸、もう一寸だけ無理のない範囲でいいのでその差し伸べている手を伸ばして頭を撫でたり、声がけをしてほしいです。子供達は深く深くそれに感謝していつまでも忘れないと思います。ただし悲しいことでもあるのですが、それら助けていただいた方々には直接恩返しがしにくいものですし、お返しをしようとしても「気持ちだけ」とニコニコとお話ししてくださる方がほとんどです。子供達はこの時に「ご恩送り」を意識し始めると思います。

ザ・サードマン:不測の事故や災難に遭遇した人などが生死を左右する危険な極限状態の苦境に陥った時に、のような目に見えない第三者が現れて安心や支えをもたらし、生還に導かれたという体験報告の現象

地蔵菩薩:日本では賽の河原で石を積む子供を救う仏様として馴染みがあります。釈迦入滅後、弥勒菩薩までの「無仏時代」に衆生を救済する。サンスクリット語で「クシティガルバ」と呼ばれ「クシティ」は「大地」を、「ガルバ」は「胎内」や「子宮」を意味することを意訳して「地蔵」とされています。地蔵菩薩は大地の中で衆生を守り、救う存在として尊ばれています。

人生に行き詰まり迷った時のヒント

このような経緯があって、私はどうしても人生がうまくいかなかった時に
「ああ、出家したい」と思うことが多々あったのですが、母の魂の安楽を願った9歳の時に般若心経を唱えながら悲しみと向き合ったことに因縁があると思ってます。

・般若心経(ハンニャシンギョウ)

お釈迦様との対話の待ち時間に瞑想をして悟りに至った
観音菩薩が仲間のシャーリプトラ(舎利子(しゃりし))に口頭で教えた悟りの境地が要約されたお経。西遊記やドラゴンボール?で有名な三蔵法師が現在の般若心経に要約した。
「舎利子(しゃりし)よ色即是空で、空即是色なんだ」
「舎利子(しゃりし)よ不生不滅で、不垢不浄で、不増不減なんだ」
って観音菩薩が語りかけてると思えばOK

・阿耨多羅三藐三菩提(アノクタラサンミャクサンボダイ)」

無上正等覚とも訳される仏語で「悟り・真理を悟った境地」のこと。
ガンダーラでもチベットでもなく憧れた「クタラ山脈」ではなかった!
この事実はチベットから帰って10年経った最近知りました。

瞑想を極めてみたい方はコチラのヴィパッサナー瞑想センターの
記事もオススメです。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?