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ビートルズ風雲録(1) ジョージ・マーティン、オノ・ヨーコ、ブライアン・エプスタイン

ついに(勝手に)連載開始となりました「ビートルズ風雲録」。これから順に時代を追って、かの偉大なるアーティスト、ビートルズの足跡をたどって参ります。途中脱線ばかりになるとは存じますが、どうぞ長~い目でお付き合いください。

記念すべき第1回は、
「ジョージ・マーティン卿、誕生」からスタート!
「え? そこから?」の声も聞こえますが、順に時代を追って参りますので、宜しくお願い申し上げます。

1926年 ジョージ・マーティン卿、誕生! 

ついに(勝手に)連載開始となりました「ビートルズ風雲録」。これから順に時代を追って、かの偉大なるアーティスト、ビートルズの足跡をたどって参ります。途中脱線ばかりになるとは存じますが、どうぞ長~い目でお付き合いください。

記念すべき第1回は、
「ジョージ・マーティン卿、誕生」からスタート!
「え? そこから?」の声も聞こえますが、順に時代を追って参りますので、宜しくお願い申し上げます。

ウィキペディアでは、彼については以下のように簡潔にまとめられております。

ジョージ・ヘンリー・マーティンは、イギリスの音楽プロデューサー。息子は現在ビートルズの音楽総指揮を受け継いだ、音楽プロデューサーのジャイルズ・マーティン。 ビートルズのほぼ全作品のプロデューサーを務め「5人目のビートルズ」と称される人物。

ウィキペディア

ま、そういうことなんですが、では、時代を1926年に戻して、彼の誕生の瞬間を、いっしょに見に行きましょう!

時は1926年1月3日。場所はロンドンのホロウェイ。「正月三が日に生まれるなんて、なんと人騒がせな」というのは日本人。キリスト教徒には正月なんぞ関係ございません。この日、のちに名前を「卿」付けで呼ばれることになる、偉大なる音楽プロデューサー、サー・ジョージ・マーティンが生まれました。
1926年の出来事と言えば、日本では大正天皇崩御、「昭和」に改元され、豊田佐吉がのちのトヨタとなる豊田自動織機製作所を設立、中国では蒋介石が共産党をつぶすために北伐を開始、アメリカではNBCがラジオ・ネットワーク放送を始める、といった具合。ちょうど2つの世界大戦の真ん中ぐらいですね。第1次世界大戦の燃え残りがくすぶっていることに気づかずに、大衆は一時の平和を満喫していたようです。

さて、このマーティン家、サー・ジョージ・マーティンによると、両親は特に音楽好きというわけでもなかったそう。3つ上の姉はピアノを習っていたのですが、家がそれほど裕福ではなかったので彼はほんの短期間しかレッスンを受けられませんでした。で、仕方なく自己流で音楽を一生懸命勉強したのです。才能がある人は、こんな逆境にも負けません。

そして無事にギルドホール音楽演劇学校(1880年設立、ロンドンの芸術学校のトップスクールです。なめたらいけません!)を卒業。BBCのクラシック音楽部門で働きます。1950年にはEMIに入社。パーロフォンの責任者であるオスカー・プルースの助手を務めます。プルースが1955年に退職した後、サー・ジョージ・マーティンがパーロフォンの責任者になりました。ちなみに、もともとドイツで誕生したパーロフォンがイギリスのEMIに買収されたのが1926年。なんと、彼の生まれた年なのです。

1926にEMIに買収されたパーロフォン。そのパーロフォンの責任者になったのが、1926年生まれのサー・ジョージ・マーティン。パーロフォンはレコードレーベルとして朗読やコメディ作品を出しており、責任者となった彼も同様の作品をプロデュースしていたのですが、1962年にビートルズと契約したのを機にロック音楽に進出することになります。いちいち運命的な出会いに満ち溢れるビートルズです。

1933年 オノ・ヨーコ、誕生! 

1926年のサー・ジョージ・マーティンに続く、重要人物の誕生と言えば、こちら、オノ・ヨーコさんですね。サー・ジョージ・マーティンより7つ年下。ジョン・レノンが1940年生まれだから、こちらも7つの差。
1933年2月18日、東京生まれ。母親は安田財閥の安田善次郎の孫娘である磯子さん、父親は柳川藩士の子孫である小野英輔さん(東京銀行常務)。

英輔さんは、ヨーコさんが生まれて2週間後に仕事の都合でサンフランシスコに転勤し、その後すぐに家族全員がアメリカに移住しました。ヨーコさん、このとき、2歳。
4歳のときに母と一緒に帰国、その後は鎌倉の別荘に住みました。
20歳のときに英輔さんの赴任先であるニューヨークに留学し、音楽や誌を学びます。才能豊かな帰国子女ですねー。
ジョン・レノンと初めて出会うのは1966年11月9日。ニューヨークに留学してから13年後のことです。


1934年 ブライアン・エプスタイン、誕生!

オノ・ヨーコさんの1つ年下。のちのビートルズのマネージャー、ブライアン・サミュエル・エプスタインは、1934年9月19日、リバプールのロドニーストリート4番地の産院で生まれました。ロドニーストリートは、お医者さんが大勢住む、裕福な地域だったそうです。

エプスタイン家は1890年代にリトアニアからイギリスにたどり着いたユダヤ系移民です。後にNEMS(North End Music Stores)という家具と雑貨の店を経営します。ポール・マッカートニーの一家が、そこでピアノを購入したという話もありますが、その時はエプスタイン家の経営ではなかったもよう。1952年ごろ、ブライアン・エプスタインは、お店の1フロアに作られたレコード売り場を担当することになります。

彼がビートルズと正式にマネージャー契約を結ぶのは1962年1月。レコード売り場を担当してから、およそ10年後のことでした。

ビートルズ風雲録(2)に続きます。


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