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【短編】ある日、マチ子さんは【小説】

 ある日、マチ子さんは、ジュエリーデザイナーになりたいと思いました。おばあちゃんが親族の集まりのときに着けていたブローチ(真ん中にルビーをあしらった、薔薇の花の形をしたブローチでした)がとても素敵だったので、自分もいつかこんなアクセサリーを作ってみたいと夢見たのです。
 そこで、マチ子さんは、ジュエリーデザインを勉強できる専門学校に通うことにしました。専門学校では、石の選び方や素材の組み合わせ方、デザインの理論、製作技法から効果的なディスプレイの方法まで、デザイナーに必要なことは何でも学ぶことができました。
 ジュエリーデザイナーになりたい人のために、こういう専門学校がある、何てありがたいことかしら。と、マチ子さんは思いました。

 ある日、マチ子さんは、引っ越すことに決めました。勤務するジュエリーブランドで異動があり、新しい職場は、住んでいるマンションから遠いのです。
 そこで、マチ子さんは不動産屋を訪ねました。部屋をいくつか紹介してもらったところ、その中のひとつが気に入りました。決して広くはありませんが、独りで住むにはじゅうぶんでしたし、キッチンも浴室も壁紙も清潔で、何より家賃が手頃なのです。通勤がそれほど苦にならない場所に、ちょうど良い部屋が見つかって、マチ子さんは満足でした。
 部屋を探している人のために、不動産屋が部屋を紹介してくれる、とても助かるわ。と、マチ子さんは思いました。

 ある日、マチ子さんは、フラメンコを習うことにしました。仕事が軌道に乗ってきたので何か新しい趣味を始めたくなり、以前からフラメンコをやってみたかったのを思い出したのです。
 インターネットで探してみると、自宅からも職場からも電車一本で行けるフラメンコ教室がありました。それも、「初心者歓迎」と謳った教室です。教室の先生は、体の使い方やリズムの取り方などを丁寧に教えてくれました。ドレスの裾をひるがえしながら、タン、タタンとステップを踏むと、まるで自分が別人になったようで爽快です。
 趣味を始めたい人やきわめたい人のために、いろいろなお教室があるから、人生が豊かになるわ。と、マチ子さんは思いました。

 ある日、マチ子さんは、ワークチェアを探していました。在宅仕事が増えたので、長時間座っても体に負担のかからない、デスクワーク用の椅子を買うことにしたのです。
 こればかりは、実際に座ってみないことには良し悪しが分かりません。マチ子さんは大きな家具店に行き、店員さんにアドバイスをもらいながら、いくつかの椅子を試してみました。そして、座面のクッション性や背もたれの湾曲具合、肘掛けの高さなどを吟味して、ひとつの椅子を選びました。買った椅子はマチ子さんの骨格や姿勢の癖に合っているようで、長時間作業をしてもあまり疲れません。以前から悩まされていた腰痛も、いくぶん軽くなったようです。
 専門店の店員さんがいろいろとアドバイスしてくれたおかげで、良い買い物ができたわ。と、マチ子さんは思いました。

 ある日、マチ子さんは、もうじゅうぶん生きたわ、と思いました。それは積極的に死にたくなるような追い詰められた焦燥感ではなく、生きるのはもうこれぐらいでいいという満腹感でした。
 マチ子さんは、やりたいことをたくさんやってきました。友だちと時間を忘れて語らう喜びも、恋の卒倒するような幸福も経験しました。ジュエリーデザイナーとしていくつも作品を手掛け、指輪やネックレスを買ってくれたお客様が笑顔で帰っていくのを見届けたこともありたました。フラメンコは長く続けてきて、小さな大会にも出ました。おいしいものもいろいろ食べました。好きな本を読み、好きな映画を観ました。たまには美術館やコンサートへ行ったり、旅行したりもしました。これが人生最高の瞬間だわ、と沸き立つようなことが何度かありました。
 もちろん、まだやっていないこともたくさんあります。出会ったことのない人たち、読んでいない本、観ていない映画、行ったことのない土地、外国の、食べたことのない食べ物や見たことのない景色。でも、まだ経験したことのないあれこれに、未練はありません。どんなに人生が充実して素晴らしいものであっても、経験できないことのほうが多いのですから。
 マチ子さんは、もうじゅうぶん人生を楽しみました。
 幸い、マチ子さんはまだ元気でしたが、気力も体力も少しずつ衰えていきます。これまで続けてきたことをこれからも続けたり、何か新しいことを始めたりするのには、気力も体力も足りなくなってきたようでした。
 マチ子さんは、例えば、年を取って病気で苦しむことは嫌でした。治ることも死ぬことも、重い症状をやわらげることも難しい病気に罹り、何ヶ月も何年も苦痛に苛まれるのは嫌でした。たとえ、そのときに、支えてくれる友人や恋人や医療者がそばにいるとしても、です。
 マチ子さんが生まれ育ち、ずっと暮らしてきたこの国には、耐えられない痛みや苦しみに見舞われても、致死性の薬で眠るように生を終えられる仕組みは、残念ながらありません。病気で苦しむぐらいなら、元気なうちに、良い思い出をたくさん持ったまま生きることを終えたいと、マチ子さんは思うのでした。
 では、私はどうすればいいのかしら。マチ子さんは困ってしまいました。
 デザイナーになりたければ、デザインの専門学校に行けばいい。
 部屋を探しているのなら、不動産屋に行けばいい。
 何か習い事を始めたければ、教室を探せばいい。
 自分にぴったりの家具を買いたければ、専門店に行って相談すればいい。
 でも、もうじゅうぶん生きたので、生きることをこれで終わらせたいと望んだときは、どこへ相談すればいいのでしょう。
 マチ子さんは、自殺したい人のための相談窓口に電話してみました。自殺したいほどつらい気持ちを助けてほしいというのとは違うのだけれど、と思いながら。
「もしもし、あの、そろそろ生きることを終わらせたいのですが」
「どうしましたか。どんなおつらいことがあったのですか。何でも話してみて下さい」
「いえ、つらいことがあったのではなくて、もうじゅうぶん生きたので……」
 しばらくあれこれと話してみましたが、マチ子さんの気持ちは、相談員に伝わらないようでした。生きていれば必ずいいことがありますから、早まらないで、希望を持って生きてくださいね、と言われました。予想していたこととはいえ、話が噛み合わないことに困惑しながら、マチ子さんは電話を切りました。
 マチ子さんは、人生で最大の理不尽に直面していました。
 好きで始めた仕事でも、どうしても辞めたくなったときには辞められます。自分が望んで関係を結んだ友人や恋人とも、もうやっていけないと感じたなら、悲しいことではありますが、縁を切ることができます。
 しかし、生きることはどうでしょう。生きることを終わらせたくても、そう簡単には終わらせることができません。マチ子さんのニーズを満たしてくれる学校やお店や専門家も、存在しないようです。
 デザインの仕事も、友人関係も恋も、本当に終わりにしたくなったら終わりにできると知っていたから、続けてこられたのだわ。と、マチ子さんは気づいたのでした。

 ある日、マチ子さんは、リュックを背負って出掛けました。途中、駅前の郵便ポストに、手紙を何通か投函しました。どれも、友だち宛ての手紙です。
 マチ子さんは、若い頃に学生時代の仲間たちと行ったことのある、北のほうの湖へ向かいました。とても静かで、空気が澄み切っていて、湖面のきらめきと木々の緑が美しいところです。
 電車のボックス席に落ち着くと、リュックからアクセサリーケースを取り出し、その中にひとつだけ収めていたネックレスを身に着けました。それは、数年前、デザイナーの賞をもらった記念にマチ子さんが自分のために作ったネックレスで、プラチナのチェーンに、ブルーサファイアとダイヤモンドを組み合わせたものでした。
 家を出る前、マチ子さんは、どの部屋もきれいに整理しておきました。そして、仕事用の机の上に一通の封書を置いて、家を出ました。宛名は、少しだけ悩んで、「この手紙を最初に見つけた方へ」としました。
 これで、やるべきことはすべてやったわ。と、マチ子さんは思いました。
 リュックの中には、アクセサリーケースの他に何が入っているのでしょう。それは、マチ子さん以外、誰も知らないことでした。

〈完〉

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