親→子への「優しさ」って?
男女のカップルが居たとしよう。
例えばベタに男性が、公園のベンチで座る前に女性のお尻の下にハンカチを敷いてあげたら、それは「やさしい」だろう。
下心は一旦置いといて、たぶん、純粋に優しい。
大人になるに従って人間関係の中での優しさって、相手が失敗しないようにとか、相手が面倒にならないように先にやってあげることを一般に示しがち。
落ちたお箸を拾って新しいのに替えてあげたら優しいし、「あの上司の地雷ワードは○○だから気をつけて」と異動したての同僚に教えてあげるのも優しい。グッジョブ。
けど、大人である親は、こどもにも自分がやってあげて失敗をさせないようにしたり、面倒なことにならないようにさせてあげたりするのが「優しい♡」と、普通に思いがちなのは、ちょっと待って。
過保護と同じで、こどもに対しては、優しさの使い方間違えると本当に何もできない子になってしまう。
できないというのは能力的物理的にならまだ良いが、メンタル的にやれない大人になってしまうから厄介。
将来立派なめんどくさいマンになってしまうリスクがとにかく高い。
わかりやすい例、お母さんはお弁当を作ります。
そのお母さんはお弁当を作るのがこどもへのやさしさだと言います。確かにそう。
だけど、お弁当を作らないことはこどもにやさしくない、わけはない。
お弁当を作らないお母さんは、お弁当がない中でいかにこどもはその状況を楽しく乗り切るのか、という経験ができるチャンス提供していて優しいです。
車で塾の送迎する親はやさしいけれど、たまに都合で送迎できない日にこどもが言う言葉はおそらく「なんでだよ💢」
普段から塾の送迎しないけど、代わりにこどもはたくさん歩いて健康になって、勉強が入りやすい身体に仕上がっていく。
そしてそんな親がたまたま気まぐれで送迎したらこどもはレアな事態に感謝感激しちゃう。
たまに楽できるのは、かなりありがたいもんね。
となりのママ友はお弁当作らないんだって。こどもの送迎もしないで常識ない母親ね。
なんて言ってる人も普通にいるけれど、こどもへのやさしさの提供は、やってあげることではなくて、経験をさせてあげること。
その状況でどうしたらうまくできるか、楽しくなるか、自分で考えられる環境をこどもにあげること。
そしてたまに「やってあげた」ことに対して、自然と感謝できちゃうから、人からしてもらうことに対してきちんとありがとうと思えるようになる。
そりゃ常にしてもらうことがあたりまえなら、「有り難く」なんて、ないもんね。
大人同士のやさしさは、やってあげる、で良い。
けれど、大人→こども、このベクトルのときのやさしさは、そのノリじゃない方が良い。
お弁当作らないお母さんに、
こどもがかわいそうだろ
とか言うお父さんも草。
お弁当作ってもらえないお父さんは絶対かわいそうだけど、お弁当作ってもらえないこどもは、その状況を自身で乗り越えるチャンスでラッキーなんよ。
やさしいね、
も
かわいそうだよ、
も、
目の前のことだけで言ってないで、未来があるこどもにはもっともっと先のことまで考えてみてほしいってこと。