学校行った方が良い?

学校は行っていた方が良い?
集団や理不尽を勉強すること、数十人単位で物事を行うこと、そういうことができるチャンスは、こどもの内は、学校の中にある。

学校に行くモチベーションって何だろう。

何にも考えずに行くものだと思って行ってる子、
楽しくて行きたくて行ってるくらいのテンションの子、
行きたくないけど親や先生がうるさいから仕方なく行ってる子、
そして、
「行きたくない」のSOSが出せなかったりSOSを踏み潰されて、本当に行くことができなくなった子。

学校という環境は、多少のクラスや担任の当たりはずれはあれど基本はみんな同じに与えられた機会でしかない。

発達障害があって、勉強が苦しくなって行けなくなる子もいれば、勉強できないけど友達多くて何も気にせず行ける子もいる。
「支援級行きたくねぇー」とか言いながら、「担任うぜぇー」のノリで普通に通う。

逆に知能が少し高くて学校に居場所がなくなる子もいる。そういう子は理不尽と常に戦うハメになっていたり、要領よく勝手なことするスキルを身につけたり、的確に反抗して堂々と問題児になったりもする。

そういういろんな子が集まって運動会とか文化祭とか修学旅行とか、ザ•学校体験ができるのが学校の良いところ。
理不尽も、自己否定も、ポジティブもネガティブもあるリトル社会で、大人の監視と保護下に限定された自由の中で、こどもは何を感じて何を身に付けるか。

結局、ぼんやりと大人の言うままに当たり前に学校行く子より、行きたかったり行きたくなかったりの自身のうねりの中で学校に対して葛藤してきた子は、何かを掴むんじゃないか。

家族のこと、友達のこと、自分自身のこと、そういうものを抱えて毎日通う場所が学校だ。

たぶん、
「学校行かなくて良いよ」
も、
「学校行きなさい」
も、どっちも正解ではない。

言うな。

決めるのは大人じゃねえ、ってこと。
大人は、こどもを信じてやることが仕事だろ、ってこと。