中学受験、中3のチャンス
中受して中高一貫校にいると、14歳15歳でのビッグチャンスを失う。
行く高校がひとつに決まっている頭の15歳と、現代のかなり豊富な中卒後の教育期間の選択を自分でできる頭の15歳。
14歳15歳の時点で考える、
「自分は何がしたいんだろう、何が合うだろう。」
ただ自分の可能性を信じて考える時間。
答えなんて出なくていい。
答えがまちがっててもいい。
答えが出なかったからとりあえず決めてもいい。
この機会があるかないかは、大きく違っている。
こうやって考える機会はすなわち、自分と向き合って自分で自分の人生に責任を持つ小さな一歩を踏み始めるということ。
自分と向き合うと若い脳みそはフルで活性化して、いざターゲットが決まればとんでもなく最高の結果を生み出すことも、全く奇跡ではない。ふつうのこと。
これは良い悪いの評価ではないし、中受の否定でもない。
多面的な物事の、ひとつの方向からの見方のはなし。
もちろん中高一貫に行く方が絶対に良い子もたくさんいる。
12歳でもいい、15歳でもいい、こども自身に自分の未来のために考えるチャンスを、と願ってしまう。
中受すると、11歳12歳で本人が自分の将来を考えて勉強始めることはほぼない。
だから6年でそれができる子は急に勉強始めてまわりと何年もbehindがあっても合格する。
機会損失なのは、学校教育でやっとだいたい生きていくための基礎の部分を終わらせた学年あたりで(もしくはもっと前から)親が始めてる、始めさせてしまっているから。
結果親が与えたのは、
10代のときに自分の人生に向き合わない楽とサボり。
物質的な学歴や雇われる限りの年収は簡単に得られるポジションを贈ってもらえたのかもしれないけれど、それ以上のスーパーミラクル人生の可能性はほぼ奪ってるとは、思い及ばないよね。
もったいない。
人間は、考えなくて良いなら全く考えないよ。
そして、あとから気付く。
「あれ?これまで、僕は自分の人生考える機会、あったっけ?」
全部、子どものため。
当然。
地球上の全親みんな思いは一緒。
けれど、子どもを知る視点と知識を持っていれば、
子どもは
羽生結弦にだって、藤井聡太にだって、大谷翔平になるのに、って、思ってしまうってはなし。