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教養が欲しくて「教養として学んでおきたいビートルズ」を読んだ

10歳くらい年下のおっさんと働いてるんだけど、最近ビートルズに興味を持ったらしく、やたらと聞いてくる。どうやらビートルズを題材にした映画を見たらしい。ほほう、いいじゃん。さすが平成生まれのくせに昭和感を漂わせてるだけのことはある。彼の名は「やすま」という。

そんなわけで、最近の「やすま」はことあるごとにビートルズについて聞いてくる。僕はそれを心地よく思ってる。若い世代がビートルズに関心を持つのはすばらしいことだ。

よし、そうなってくると、ここはひとつ年上としてビートルズについて語れるようになっておかねばなるまい。ビートルズに関する教養が欲しい。

こんな流れで一冊の本を読んだ。このnoteはその 読書感想文である。

ただし、内容は「なぜビートルズは世界的ヒットを作れたか?」に絞ってある。なのでビートルズに興味ある人はもちろん、何かよい作品を作りたいと足掻いてる人には是非読んでほしい。やはり世界的ヒットの裏にはキチンとロジックがあるのだ。いや、実際にはロジックなんて言葉では片付けれない、魔法のようなものなんだけど。

なお、僕は今年42歳の1979年生まれ。ビートルズが解散した後にこの世に生を受けてる。なので、リアルタイムでの彼らの活躍や、当時の空気感を知るわけではない。でも、ビートルズが好きでよく聞いている。

幸運だったのは、幼少の頃、お父さんがレコードが好きで毎週日曜日に昼間っから爆音でレコードを流してたこと。それがビートルズだったのは言うまでもない。もちろん僕はドラえもんの方が聞きたかったのだが、お父さんはそんな気持ちはお構いなしにビートルズを聞いていた。

田舎に生まれた僕は、高校で家を出た。ここで「県外に出た」と言えたら楽なのになぁといつも思うんだけど、実際には県内なので説明が少しややこしい。県内だけど、家からは通えない距離の高校だった。なので寮に入ることになったのだけど、とある事情で退寮処分。速攻で一人暮らしになった。

高校で県外に出て一人暮らしを始めたって言えたら手早くイメージが伝えやすいのになぁと思うんだけど、厳密にいうとそうではないことが少しもどかしい。

とにかく!そんな僕にお父さんはビートルズのCDを持たせてくれた。県外とかそういうことより、この事実が大事なのである。家を出て1人になった僕はありがたくビートルズを聞いた。なお、お母さんは徳永英明を持たせてくれた。こちらもよく聞いたけど、まだ誰にも語れるチャンスはない。

僕とビートルズ(と徳永英明)の関係はこんな感じ。マニアには程遠いけど、幼い頃から自然に音楽としてそこにあった。ただ、時代背景やエピソードなんかはそこまで詳しくない。というわけで語るには知識不足だな、と一冊の本を読んだわけだ。

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この本には沢山の興味深いエピソードが書かれおり、どれもおもしろい。そんな中、とりわけ僕が注目したいのはジョンとポールの関係性だったりする。

この2人は「対照的」な存在として知られており、ジョン自らこの「対照的」であったことが成功に大きく起因していると語っている。僕もそう思う。

ここで僕は思う。誰かと何かを作るとき、「対照的」な存在を選ぶことはできるだろうか?ついつい、価値観が近く摩擦が少ない「気のあう」相手を選んでないか?

インターネットは自分に合わせて情報がパーソナライズされる。いつのまにか僕らは自分に都合のいい情報しか見なくなっている。

「気があう」というのは心地よいかもしれないが実に厄介だ。ひとつの方向に疑問なく進む心地よさだけで得られる満足度なんてたかが知れてるわけだ。以下、本からの引用である。

『甘ったるいポールの歌にはジョンの香辛料をきかせれば味が引き締まるし、まろやかさに欠けていたジョンの曲にはポールのとろみを加えることで風味が増した。』
『しばしば鼻につくポールのセンチメンタリズムはジョンの容赦ない皮肉で相殺されたし、ジョンの悲観的なつぶやきはポールの祝祭的な快活さによって打ち消された。』

こう言われるとビートルズを知らなくてもイメージできると思う。全く別のベクトルでの天才性が作品の中に同居しているわけだ。これがビートルズが世界的に売れた要因のひとつであることは間違いない。

「対照的」な存在と時間を共にし、何かを作るのも難しい。でも、それ以上に「対照的」な存在に自分のことを認めてもらうのは難しい。共感と違って、相手には無いものを認めさせなければならないわけだ。ジョンとポールにはそれがあった。これはシンプルにお互いが結果を出し続けたからに他ならないだろう。

ジョンレノンがストロベリーフィールズフォーエバーを歌えば、ポールマッカートニーは触発されてペニーレインを歌う。この二曲はどちらも故郷のリバプールを歌ったものだが、わかりやすいほどに対照的。しかし、どちらも天才的によい。これぞビートルズって感じ。いや、もちろんジョージとリンゴのこともビートルズを語る上では欠かせないんだけど、そこは今回は堪えてほしい。

「対照的」でいて、認められるにはこのレベルのが求められるのだ。なお、どちらも作詞作曲レノン・マッカートニーとクレジットされているが、ビートルズの曲は公式に発表された全213曲中144曲がレノン・マッカートニー名義で、これは2人の共作ということである。

おもしろいのは、どちらか1人で作詞作曲をしてもクレジットは共作になっている。これは15歳のときに取り決めをしたらしい。僕は、単独で作ったとしても相手の影響を受けて作ってることになってるんだなって思ってる。

ジョンはポールを、ポールはジョンを納得させなければならないという意識のもとで創作してるのだ。

ビートルズはこの「対照的」である2人の天才が、本来なら同居しないものを相手に影響を受け、同居させているところに奥深さがあり、唯一無二だったのだと思ってる。安い自己満足な共感では決して作れない。世の中に出る前から1番納得させたい、納得させるのが難しい相手に聞かせる前提で作られてるのである。

共感は確かに心地いい。心もすり減らない。けど、何かを本気で作るときには害にもなるな…そんなことを思わせるエピソードだったりする。

どうだろうか。ビートルズに興味を持った「やすま」はこんな話をおもしろいと思うだろうか。ちなみに、僕らはYouTubeを作ってるが、「やすま」は僕と「対照的」だなと思うことがしばしばある。それがおもしろいところだな、といつも思ってる。天才かどうかはわからないけど、少なくとも彼に対して胸が張れるような動画を作りたいとは思ってる。

この本には他にもたくさんのおもしろいエピソードがたくさんある。その全てを書くわけにはいかないが…最後にもうひとつだけ心に残った部分を引用させてほしい。

ビートルズが存在しなかったら、断言してもいいけれど、いまごろ私は二児の母になっている。たぶんふつうに大学を卒業し、何年か会社に勤めたあと、そこで恋愛結婚をして、テレビで流れている情報はすべて真実だと信じ込んで暮らしている。いま流行っている曲がいちばんいい曲で、みんなが着ている服がおしゃれだと信じ、相手の意見にはほとんど逆らわず、病気をせずに長生きをして、家族が仲よく過ごせたら、人生は上出来だと思っているはずだ。肩書きの立派な人が偉いと思い、偏差値の高い学校を出た人を頭がいいとみなし、しょせんこの世は金持ちになれば勝ちだと思い込み、みんなが持っているものを持っていれば幸福だと思っているにちがいない。ビートルズは私を待ち伏せしていた。それまでぼーっと歩いていた私の後頭部をいきなり強打したのだ。忘れもしない一二歳の春だった。以来、私はビートルズに殴られっぱなしである。ものごとを損得勘定だけで判断しようとすると、ジョンに「おまえはアホか」といわれて、すぐさま反省する。ビートルズに「あいつ、いかすやつだな」と思われる人間になるのが私の目標である。「ビートルズに殴られなかったら、絶対になれなかった人間」になるべく、これからも歩き続けようと思っている。

これは作家の島村洋子さんのエッセイだそうだ。大いに共感できる。人生でやるべきこと、やってはいけないこと。その指針は、高校のときに家を出て1人で聞いていたビートルズから影響を受けているのかもしれない。


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