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戦国武将から学ぶ経営者としての志

あと1週間で来年です。
12月は体感として、時間が経つのがはやいですね。

私ごとですが、先日会社を設立しました。

自分自身がこれからステージをあげて、
仕事していけることが楽しみです。

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先日、戦国武将が大好きな友人と話していました。

その友人曰く、
「戦国武将は戦での勇猛な将であるとともに、
平時が臣民を束ね、領地を経営する経営者」
とのこと。

友人から柴田勝家の天下事業について話を聞きました。

柴田勝家は刀狩りや検知などを行い、織田信長とともにインフラ構築を取り組んでいた人だそう。
かっこいいですね!

今日は、経営者としての戦国武将とその天下事業に取り組んだことについて書きたいと思います。


■戦国武将『柴田勝家』とは

柴田勝家といえば、織田信長に仕え数々の戦いで武功をあげた猛将です。

戦えば物凄く強く、物事を冷静に考え、進言する頭の良さをもっていたと言われています。

ギリギリの窮地のなかで、突破してきた方です。その逸話がこちらです。


信長が天下統一を叶えるため、上洛を進めようと、京に上るためのルートを確保するため奮戦していました。色々と策略しながらも、ついには上洛を果たすことに成功しました。この頃上洛の際に戦った六角義治が、甲賀の武士たちを引き連れ、南近江で騒動を起こしていました。勝家は、その監視をするため、長光寺城の守備を任されます。そこに義治が攻め込み、城を取り囲まれてしまいました。当時信長は、各地で敵と戦っており援軍を送る余裕はありません。水の備蓄も徐々になくなり、降伏を促す使者に対し、手洗いで使わせた水の残りを捨て、まだたっぷりの水があるようにアピールしました。それを見た使者も、まだ水の備えは十分にあると義治に報告。長期戦に持ち込む備えでしたが、勝家は家臣に一杯ずつ水を飲ませ、残りの水瓶は割ってしまいます。『水がなくなった以上、生きるためには討ち取るしかない』と、六角軍を攻撃。そして見事に勝利しました。
参考文献:https://youtu.be/RcGHuACu63s


生きるために討ち取るしかない、その覚悟が本当にすごいと感じます。私自身、歴史を勉強するなかで、全てをかけて挑むことの大事さを痛感します。


■「刀狩り」で職制を整理
勝家は、戦と同時進行でその土地を治めるにはどうしたらいいか、という立場で天下を取った先までみて戦略をたてていたそうです。

その一つの施策が「刀さらへ」です。「刀さらへ」は秀吉が施策としておこなった「刀狩り」の大元のものです。

刀狩りは、農民や僧侶などに、刀などの武器の所有を放棄させるものです。

当時は、農民や僧侶が武装することは禁止されていませんでした。農民が武器を持って戦に参加し、各地で一揆が頻繁に起こるようになり、領主は農民の武器保有を問題視したそうです。

そして、1576年には、柴田勝家が越前国(現・福井県)で刀狩りに相当する「刀さらへ」を行いました。

没収した武具で農具や船橋の鎖を作ったと伝えられています。見方を変えれば、マネジメントの一つなのだと感じます。


■知れば知るほど面白い歴史とは

残念ながら、柴田勝家は、「賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い」で羽柴秀吉に討ち取られます。

「賤ヶ岳の戦い」は1583年に賤ヶ岳(滋賀県長浜市)付近で起きた、「羽柴秀吉」と「柴田勝家」の戦いで、その後の日本の歴史を変える大きな転機となった戦です。

調べ始めて、
私自身歴史を楽しく学ぶ大事さも知りました。
こういうサイトがあります
▷https://sengokuchahantv.com/news/


また、この大切な合戦で功名を立て、賤ヶ岳の戦い後に豊臣秀吉から称えられた七人の若武者たちのことを、「賤ヶ岳の七本槍」と呼んでいます。

戦国武将や戦いシーンや人柄などを
昭和風の曲調で歌うyoutubeを教えてもらいました。

『シズガタケの七本槍』
作詞安部裕之 作曲奥村愛子
編曲安部潤
心に誓う 秀吉への思い
信長亡きあと ライバルは勝家
倒せば天下さ
ぼくらのヤリで叶えよう
IKUSAはチャンス!(チャンス)
打ち死にするのは怖いけど
HOUBIもゲット!(ゲット)
ヤリは折れても 心は折れない
決戦の舞台はシズガダケ
一番槍だ 福島正則
虎も倒した 加藤清正
加藤孫六こと 加藤嘉明
七人合わせて七本槍!
大名じゃないよ 平野長泰
あと糟屋武則と片桐且元
ウィアー・ウィアー 七本槍!


ここの歌って覚えるかんじも面白い!昭和をめちゃめちゃ感じますが、とにかくハマりました。


私自身、社会や世の中のためになるものを常に考えて、同時進行で先手先手で行動していこうと思います。

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