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読書記録「ひねくれ一茶」田辺聖子著

講談社文庫
1995

ドラマがBSプレミアムで再放送されていてそれが面白く、原作を読んでみようと思った。
西田敏行が演じる小林一茶が哀愁ただよいつつ、なんとも可愛らしかった。

小説はその世界に入り込むのが難しくて最初なかなか読み進まないことが多いのだが、すぐに物語に引き込まれた。
火事も多い江戸での厳しく貧しい暮らしと、それでも人が多くて賑やかな江戸の様子。俳句を嗜み、庇護してくれる友人たちと過ごす楽しい時間。各地を歩いて周り、俳人たちと出会う楽しさ。
そして故郷の柏原の味噌や山菜などの食、雪深さ、そして妙高山や黒姫山の景色。雪国では春がどんなに嬉しいものかということ。善光寺のほうにちょっといったら雪の深さも、春の訪れ具合も違っていること。

それなのに読み進めていくうちに、なんだか微妙な気持ちにもなった。その理由が五木寛之のあとがきでわかった気がする。
描き出された小林一茶という人物があまりに生身の人間らしく、生きることへの執着や生活の汚さまでもが伝わってきてしまうのだ。

江戸に対するコンプレックスと江戸で認められたいという思い。
俳句の師匠として身を立てて豪勢な暮らしをするものたちへの嫉妬。俳句を金儲けの手段にするものへの嫌悪感。
そんな中でも親しくしていた者は、年下も年上も、どんどん亡くなっていく。
江戸で豪勢な暮らしとはなかなかいかないまま年ばかりとっていく。

江戸でどうにか一本立ちしたいという思いが、腹違いの弟と継母からなんとしても故郷の土地を半分手に入れて安定した収入を得て江戸で足がかりをつくる足がかりにしようという執念へとつながっていく。

そして長年争ったのちにやっと手に入れた自分の家。その上、60近くになって若い妻と子供まで授かる。
そして故郷で、信濃者らしい俳句が自分の俳句だ、故郷に足を落ち着けようと思っても江戸に足が向く。そして10ヶ月も旅に出たまま戻らなかったりする。
そして子も妻も失って。さらには妻のお菊まで失って。それでもまた別の妻を得て更に子供を得ることを望む。
あとがきにあるように、その生きることへの執念と全ての生き物への優しい視点を持った俳句を作るその性格が共存しているというのが不思議だ。

自分の故郷の柏原の田舎具合に嫌気がさすのも分かる。
そして、信濃という場所の美しさから帰ってくることを勧める友人の気持ちや、最後はここに骨を埋めたいという気持ちになっていく一茶の心の動きもとてもよく分かる。

俳句行脚にいけばいつまでも滞在してくださいと言ってもらえて、行く先々で俳人が集まってくる。
各地の俳人から慕われていたのは一茶の俳句の魅力と、その人柄だろう。
そのあたり、西田敏行のドラマは一茶の魅力が伝わり、とてもよく出来ていたなあと改めて思った。(寺島しのぶも良かった。)

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