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読書記録「法隆寺の智慧 永平寺の心」立松和平著

新潮選書
2003

法隆寺の智慧

著者が承仕(法隆寺の最下級の僧侶)として修行を行うという金堂修正会。
こればかりは縁なのだと書いているけれど、どうしたら承仕になれるのかやっぱり知りたいところではある。

始めて知った吉祥悔過。吉祥天に過ぎたことを懺悔するらしい。懺悔というのもキリスト教だけのものかと思っていた。
高野山のサイトに簡潔な説明があった。

自分たちが真理に到達すれば良いという小乗に対する改革運動として生まれた大乗。

法華経には、迫害されているという切迫感が色濃く残っている。瀬戸際から反撃するようにして書いたのだという迫力に満ちている。
法華経は古い因習や、袋小路に迷い込んで混迷を深めた思想の殻を破り、新しい世界へと飛躍しようとした人たちの、新しい思想であった。そのために旧守派から苛烈な迫害を受け、内部ではますますその思想を強化していったとみえる。

聖徳太子が通ったという。瞑想と生活の場である斑鳩宮と、政治を行う小墾田宮との間の太子道。
この太子道、季節の良い時期に散歩したらさぞ楽しいだろうなあ。

感じたのは仏の教えによって良い世の中を作りたいという思い。宗教ときいてイメージするものとはちょっと違う。
法隆寺が長く人々によって守られ、愛されきた理由がちょっと分かったような気がした。

永平寺の心

法隆寺から続けて読むと、その違いがいっそうよく分かる。

春は花夏はうつせみ秋は露あはれはかなき冬の雪かな

道元の父ともいわれる源通親の作。川端康成がノーベル賞受賞のスピーチで引用した句。
著者は、この句は通親が読めば諸行無常だが、道元が読めば真理、諸法実相を読んだものになるという。
因は同じでも、縁によってあらわれる形は変わる。しかしありのままの実相は仏にしか分からない。仏のみるありのままの実相を修行によってありのままに見ようという教え。

そのために、永平寺ではただひたすらに修行、只管打坐。
教え、悟りは師から弟子へと伝えられる。

仏法の真実とは師から弟子へと一筋に伝えられる。一人に仏法を伝えることが禅では重要で、これを一箇反箇接得という。

その思想には時代背景が大きく影響していそうだ。

聖徳太子の時代には、これから仏教思想によって国をつくっていこうという溌剌たる希望があったのだが、六百数十年後の道元が身を置いた鎌倉時代には争いが殺戮を呼び、時代は絶望の様相さえおびていた。釈迦が死んで千年は正しい教えが残る正法の時代で、その後の五百年は正法に似たような教えが残る像法の時代である。聖徳太子はまだ希望のある像法の時代に生きた人物なのだ。その後は正しい教えも正しい教えに似た教えもない暗黒の時代、末法の時代である。道元はその末法の時代に生きている。

永平寺での厳しい修行。一般の人を入れなければ良いのではないかと思うけれど、そこは大乗仏教。門は全ての者に開かれている。

世の中がどんな時代であっても、坐禅によって悟りを得ることはできる。日常の全てが修行。
外国で受け入れられるのも分かるような気がした。

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