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旅好きが語った “生きる長旅”

とにかく口に放り込む、とにかく触る・やってみる。何でも初めは好奇心だ、と自己啓発は大人に言う。そんなこと、何を今更。

今回は、それを生業としている「君」の話。
『君が生まれて、人生の主役は交代したか』(1)、『生まれて半年、バナナが届かない君へ』(2)。
ライターの岡田悠さんは、世界を旅して各地を綴る。発行した旅行記はたくさんの人に読まれ、共感を得た。そんな彼が初めて出会った、1番身近な未知の「君」。

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生まれた「君」が3ヶ月経った頃、著者は「人生の主役」について考えた。「君」か自身か、人生の主役は切り替わるのか。この記事で彼は、こう結論付けている(1)。

僕と君のそれぞれの人生は、ときに併走しながら、ときに混じり合いながら、国道のように平野を真っ直ぐに伸びていく。(略) それぞれの人生を過ごすなかで、記憶に残る接点をたくさんつくっていけたらいい。 

半年が経って著者は、「君」の成長の中にその接点を見出した(2)。
それまで横になって宙を見上げていた「君」が、ずり這いを覚えるまでになった。歯が2つ生え、バナナの歯固めを噛みこなす。段ボールやお風呂の栓やリモコンのボタン、あらゆる物に触って感動する。そして、おもちゃ箱に入れられたバナナが「届かない」と気づく。

できることが増えるほど、できないことが増える。手を伸ばせば伸ばすほど、届かない場所に目がいく。遠くへ行けば行くほど、なにもわからなくなる。

「君」が泣いた。


著者は10歳の自身と重ねる。3週間、訳もわからないまま、お父さんに連れられて海外へ行った時のこと。

知らない人ばっかりで、わからない事ばっかりで、僕もしんどいんだ。共感と主張と情けなさがごちゃ混ぜになって、泣いた。


分からないのは、いつでも辛い。



私も重ねた。少し前のこと。

親しい人には「将来」を問われ、
自分からは「今」を問われる。
知らない人には「過去」を問われ、
何もないから「未来」を見る。

分からないのは、いつでも辛い。

私が泣いた。


心を塞いで誰にも触らせなかった。

やりたい事など、やりたい気持ちなど、忘れた。
親しい人から「夢追い人」、自分からは「無力」、知らない人から「無責任」。自意識により発されるこれらの “まなざし” は、どんどん自分を追い込んだ。

気を抜けば涙、気を引き締めればため息。



一度休むことにした。



休んで分かったことは、
この涙が、成長のための “脱皮” だということ。


「届かない」という苛立ちは、「届く」という可能性の上に成り立つ。
「届かない」の先に「届く」がある。


大丈夫。きっと私も夢に「届く」。


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少し前の涙は、母にぶつけた。

「あんた、120歳まで生きるんでしょ? 別に今、何もなくたって問題ないじゃない。」



母は強い。


私の “長旅” もまだまだだ。


☺︎ 本記事のインスピレーション

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