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生まれて半年、バナナが届かない君へ

君の後頭部が禿げた。

髪全体の毛量は増えているのに、生まれて4ヶ月が経った頃から、後頭部だけがぽっかり更地になったように禿げた。病院の先生からは、この時期にはよくあるから心配しなくていいと言われた。
仰向けの姿勢でいると、枕と摩擦する部分が抜けやすいらしい。そういえば最近しょっちゅう頭を動かして、色々な方向に視線を向けようとする。それで摩擦が加速されるのだろうか。左右にせわしなく目をやり、常に新しい角度を探しているように見える。

首が座って、縦抱っこができるようになってからは、君はますます周囲に興味を持ち始めた。これまで下からしか見上げられなかった世界を、正面から見据えられるようになったのだから、パラダイムシフトと言える。
抱っこをせびる頻度も増え、縦に揺らしたり、高く持ち上げることを要求するようになった。鏡の前がお気に入りで、鏡に映った僕と目が合うと、柔軟な関節を活かして手足を存分に動かし、声を上げて笑う。

さらに歯が生えたことによって、君の可能性は大いに広がった。以前からしきりに指を口に入れては、歯茎で噛みしめるような仕草を見せていたのだが、突如として下の前歯が2本だけにょきっと生えた。生えたての歯はむず痒くて仕方がないようで、「歯固め」と呼ばれる、噛む練習をするおもちゃが手放せなくなった。
はじめはうまく持つことができなくて、放り投げては消え去った歯固めを嘆いていたものの、そのうち指でつまみ上げて、スムーズに口へ運ぶようになった。薄べったいふにゃふにゃした歯固めで気を紛らわせてることもあれば、バナナの形をした歯固めを、歯ブラシのようにくまなく奥歯(の予定地)に擦りつけていることもある。
固さや厚さなど、気分に応じて種類を使い分けているようで、泣き疲れた後などは板状の歯固めを震えるほど噛み締めてから、ホォ、と満足げに嘆息する。仕事終わりの、ビールみたいだなと思う。おもちゃのもたらす副産物なのか、身体の扱いにも長けてきて、途中から哺乳瓶も自分で支え始めた。視界に自分の足の存在も発見して、興味深げに追いかけては掴んでいる。

ある日、君はバナナの歯固めを、勢い余って飛ばしてしまった。いつもならその場で泣き出すところだが、とにかく噛みたい、という欲求が勝ったようで、身体をひねらせて拾い上げようとした。
だだバナナはいくら手を伸ばしてもあと一歩のところで届かない、なんとも絶妙な位置に落ちていて、君はヌィと唸り声を上げる。懸命に力んで、顔を真っ赤にして上半身を持ち上げる。ぱたんと仰向けに戻ってしまっても、懲りずにまた腕を伸ばす。戻る。伸ばす。幾度かの試みののち、ンキャ!という渾身の叫びと共に、君の身体はころんと180度転がった。
初めての寝返りだった。その瞬間、君は目を丸くして驚き、そしてにんまりと笑った。

ファースト寝返りを間近で目撃した僕は、自分でも意外なほどに、いたく胸を打たれた。帝王切開でこの世に取り出されて以来、寝るのも飲むのも風呂に入るのも、ただ受け身でいざるをえなかった君。そんな君が今この瞬間、初めて移動手段を獲得したのだ。初めて自分の意思で、行きたい場所へ行けたのだ。
僕はこれまで赤ん坊の成長とは歩行こそが大きなマイルストーンであって、寝返りは過渡期でしかないと考えていた。誤りだった。寝返りとは偉大な行為である。数cmの小さな移動に過ぎないが、君にとって大いなる移動だ。先ほど首が座ったことをパラダイムシフトなどと呼んだが、寝返りこそが君にとってのコペルニクス的転回と言えよう。
公園を走り回る子供たちにも、テレビで弁を振るう政治家たちにも、かつて寝返りを成し遂げたタイミングがあったのかと思うと感慨深い。僕はすっかり寝返りフリークとなって、友人たちに寝返りの魅力を説いて回ったが、軽く流されてしまった。人が初めて寝返りした瞬間を集めたDVDが欲しい。

寝返りの初期段階においては、仰向けに戻るための「寝返り返り」がまだ十分にできなかった。うつ伏せの状態をキープするのも辛いようで、ほっぺを床につけたまま泣いてしまう。慌てて仰向けに戻してみても、君はまたすぐにンキャ、ンキャ、と叫びながら寝返りを試みる。そしてまた泣く。バナナを求め、一日に何十回も寝返りをしては泣く。
膨大な数の試行回数が積み上げられて、一週間もするとうつ伏せでも涼しい顔をするようになった。頭の重さを利用することで、勢いをつけて寝返り返りをできるようにもなった。その異常なほどにめげない姿勢には、駄目出しを受けたら3日は引きずってしまう僕からすると、頭の下がる思いがする。

6ヶ月になった頃には、うつ伏せを保ちながら右足を蹴り出し、少しだけ前へ進んだ。いわゆる「ずり這い」だ。君は一瞬、何が起こったのか判然としなかったようで、試しに再度前へ進んでみたのち、これは、という表情をして笑った。寝返り会得に続き、ずり這い会得の瞬間だった。
ずり這いも一度覚えてしまえばお手のもので、さも以前からこうやって移動してましたよというように、体力の限界が訪れるまで床を蹴り続ける。まだ左足では進めないから少しずつ反時計回りに回転していくけど、腕でなんとか微調整する。360度が君のものになった。

部屋にいても散歩に行っても、常に頭を動かし、身体を移動させる。景色を様々な角度から観察して、手で触れようとする。机の下に入り込んで裏側の凸凹した部分を撫でたり、ベビーベッドの柵の間に拳を突っ込んで握っては離す。
ゆらゆらと揺れる風景が大好物で、風に吹かれる木の葉、グラスの底をたゆたう麦茶、はためくカーテンの影。そういったものには興奮を抑え切れない様子だ。親が口をもごもごと動かすのも同じジャンルに分類されるようで、晩ご飯を食べ始めると真顔でじっと見つめてくるから、少し緊張する。

ガラガラ鐘の鳴るおもちゃよりもお尻ふきのビニールが擦れ合う音が好きで、テレビに流れるアニメよりもリモコンの4色ボタンが好きで、いないいないばあをすると「ばあ」より「いないいない」に大笑いする。たくさんのプレゼントが段ボールで届いた時に、全部並べてみたら一番に段ボールに食いついた。こういうのが好きなんでしょう、というこちらの浅い考えをことごとく裏切ってくるのが素晴らしい。
タオルをふわりと顔にかけると狂喜乱舞するけど、例えば僕がこの場で空中浮遊を始めたとしても、そこまで驚かないかもしれない。大人の頭では「宙に浮く」レベルの信じられない出来事が、毎日次々と起こる。そういう目で世界を見ているようだから、とても羨ましい。

ただ行動範囲と観察対象が広がったことは、違った影響も君に与えたようだ。心なしか、不機嫌になる場面が増えた気がするのだ。ころころ転がりすぎてリモコンを通り過ぎてしまったり、ベビーマットの段差を乗り越えられなかった時は、前には見せることのなかった、眉間にしわを寄せた表情で苛立ちを示す。動くメリーゴーラウンドのぬいぐるみに触ろうとしたり、おもちゃ箱にしまわれたバナナの歯固めを取ろうとするけど、いかんせんまだ複雑な動きには弱くて、悔しそうに泣いたりもする。

これまで見ようとか触ろうとか、そういった発想さえなかったところに、届くかもしれない、という可能性が生まれた。届くかもしれない可能性は、同時に届かない場所をも浮き彫りにした。できるようになったことで、できないことがわかったのだ。それが結構ストレスらしい。

僕が思い出したのは、僕が小学生だった頃の、旅の記憶だった。

君の父は旅行好きだが、僕の父……つまり君からするとお祖父さんは、さらなる旅行好きだった。高校を出てすぐに日本を発ち、現地で働きながら何年間も1人で海外を放浪していたそうだ。
当時はバックパッカーはもちろん、海外旅行さえも一般的ではなかったから、よほど過酷な旅だったと思う。だが父は事あるごとに、当時の思い出を本当に楽しそうに、夢心地に語った。父の青春はまさに当時の海外放浪にあったのだと、幼心に思ったものだ。

旅好きの遺伝子を継ごうとしたのか、父は頻繁に僕を旅行へ連れて出かけた。ドライブや動物園にも行ったけど、100kmの道のりを4日かけて歩いたり、むかし父が居候していた家を巡るような、ちょっと変わった旅行もあった。
あれは確か10歳くらいの時だったと思うけど、僕の夏休みに丸々合わせて、3週間ほどヨーロッパへ連れられたことがある。そう書くと随分と贅沢な話に聞こえるかもしれないが、そういうわけでもない。ツアーやガイド、旅行会社なんて一度も使わずに、現地で移動手段や宿泊地を確保して、バックパッカー時代の知り合いの家に泊まったり、近所のスーパーで買った素材で料理をして過ごした。
今思うと、父は若き頃の旅を僕に追体験させたかったのかもしれない。とにかく一般的に想像するような家族旅行とは全然違って、それなりにトラブルも多い3週間だった。

僕はというと、旅行の間、ずっと不貞腐れていた。どこに行ってもつまらなそうな顔をして、ゲームボーイばかり触って、何を見せられても文句を垂れた。反抗期の萌芽だったかもしれないし、せっかくの夏休みなのに友達と遊べないことが気に食わなかったのかもしれない。
だが本当のところは、言葉も分からず、馴染みのない味ばかり食べさせられて、知っている場所も一つもない。そんな環境が不満だったのが大きいと思う。

旅行も終わりに近づいたある日、どこかの国の誰もいない公園に座って、ランチを取ることになった。屋台でサンドウィッチを買ったものの、食べないことも抵抗の意思表明であると考えていた僕は、一口かじっただけで脇にやり、うつむいたまま芝生の草をぶちぶちと抜いていた。
父は美味しいよと言って自分の分も勧めてきたが、僕はその呼びかけも無視して草むしりを続けた。そうしたら父は突然、なんでや、と叫んだ。そして、俺は間違ってるんかな、とも言った。それは僕への叱責というよりは、悲痛な嘆きのように聞こえた。僕はなぜかボロボロと涙を流した。

父は幼い頃に父を亡くして、女手一つで育てられた。だから父親がどういう存在なのか、どのように息子に接していいのか、よくわからなかったらしい。家族旅行からずっと後のこと、僕が成人した頃に、父は酔った勢いで語った。

小学生だった僕にはそこまで具体的な想像こそ及ばなかったものの、父の葛藤はなんとなく察していたように思う。だけどそんなことを言われたって、僕は海外なんて来たくはなかった。知らない人ばっかりで、わからない事ばっかりで、僕もしんどいんだ。
共感と主張と情けなさがごちゃ混ぜになって、泣いた。泣くのを恥ずかしいと捉える年頃だったのに、人目も憚らず、まるで空腹時の君のように、しゃくりあげながら大声で泣き喚いた。父は黙ってサンドイッチを食べていた。泣き声だけが、がらんどうの公園に響いた。

できることが増えるほど、できないことが増える。手を伸ばせば伸ばすほど、届かない場所に目がいく。遠くへ行けば行くほど、なにもわからなくなる。

君に2本の歯が生えた頃から、離乳食が始まった。初めてお粥を口に入れた君は一瞬動きを止めたけど、神妙な顔でそのまま飲み込んだ。ほうれん草、かぼちゃ、じゃがいも、人参、豆腐、ツナ、りんご、ヨーグルト。小さなお椀は毎日違う色で彩られて、君は身を乗り出して小さな口を大きく開く。
はじめはなんでも受け入れて、スプーンどころか僕の指ごとかぶりついてきた君も、そのうち好みを自覚してきたようだ。トマトとか苺とか、酸っぱくて赤い食べ物には目がなくて、吸い込むように平らげていく。
一方で魚関係には関心が薄いようで、子どもの日のお祝いにと鯛に挑戦してみたけど、じきに顔をしかめ、口を真一文字に結んで拒否してしまった。魚はタンパク源として我々両親のお勧めであるが、こちらにも渋い顔をする。

ただ一つ共通しているのは、初回の挑戦については、どんな離乳食もとりあえず飲み込んでみるという点だ。この世には数え切れないほどの食べ物があるから、その姿勢には賛成する。
君が試行錯誤しながら「食べる」を覚えていく様子を見るのは、とても楽しい。離乳食が始まってから、体つきもますますしっかりしてきた。ベビーチェアに乗せるたびに、ベルトがきつくなっていく気がする。掴むとほろり崩れてしまいそうだった腕はぶんぶんと回り、自分の顔にぶつけても平然としている。白い太ももはこねたてのクロワッサンの生地みたいで、もちもちと柔らかい。身体が成長するのは嬉しいが、その太ももだけはしばらくキープしてもらえるとありがたい。

跳ねるように転がり、涎のわだちを残しながら移動を続ける。僕が横に寝転がると、ノーモーションで掴みかかって髪を引っ張る。風呂ではお湯に飛び込もうとする君と未然に防ごうとする僕、浴槽の栓を抜く君と栓をする僕とで、毎晩攻防が繰り広げられる。

行ける場所が広がり、噛めるものも増える。もっと食べて、体が大きくなって、また行ける場所が広がる。こんなサイクルがこのまま続けば、あっという間に歩けるようになるだろう。走れるようになったり、自転車に乗れるようになったり、行動範囲はますます拡大していくと思う。すこし先の話になるが、君もいつか海を渡ったりするかもしれない。

そしてその度に、君は唖然とするだろう。世界はなんてわからないことだらけで、届かない場所だらけなのかと。小学生の頃の僕のように、あるいはおもちゃ箱に入ったバナナを掴めない君のように、悔しくて泣いたり、目を背けたくなることもあるだろう。

だけどそれでいいのだと思う。すぐにわかった気になるよりも、一旦わからないと認めてしまったほうが、実はのちのち楽しいのだ。僕の父が伝えたかった旅の醍醐味とは、そういう部分にあったのだと今は思っている。

あの奇妙な家族旅行から20年が経った。父の思惑通りなのか、結果的に僕はすっかり旅好きとなった。バックパックを背負って世界中をふらふらと渡り歩いて、しまいには旅行記の本まで出版してしまった。小学生の僕からすると、まるでありえない将来像だ。

僕がここまで旅に病みつきになったのは、どこかのタイミングで、うまくいかないこと、わからないことが、ある種の快感に変わったからだ。
旅に出ると、僕が事前に立てた計画なんて、何ひとつ予定通りにいかない。日本で不自由なく過ごしていると、なんでもできる錯覚に囚われてしまうけど、海外では言葉も通じず、バスにさえもうまく乗れず、無力感でいっぱいになる。現地の人と喋って、仲良くなったかと思ったら、騙されて意気消沈する。その繰り返しだ。

まるで今まで自分が頼ってきた地図が、その何倍も大きな地図の一部でしかなかったような気持ちになる。想像していたよりはるかに世界は広いのだと、何度も何度も思い知らされる。そういう衝撃を受けた瞬間を、忘れることはない。

この気づきはとても新鮮で、衝撃的で、快感でもあった。こうして僕は、旅の虜となったのだ。知らない人ばっかりで、わからない事ばっかり。小学生の僕が泣き喚いた「わからなさ」にこそ、旅の大きな魅力があった。

旅行記を出版した際、本を一部、実家へと送った。文末に掲載した謝辞には、「旅の魔力を叩き込んでくれた父へ」と書いた。芝生をむしりながら泣きじゃくった僕からの、20年ぶりのお礼でもあった。

数週間後、父から封筒が届いた。中には手紙が2枚入っていた。1枚にはびっしりと本の引用が書き込まれていて、この文章はこう思ったとか、ここの表現は心に響いたとか、様々な感想がメモされていた。そしてもう1枚の手紙には、こんな言葉が綴られていた。

「記憶の底に沈んでいた19歳からの旅の思い出を浮かびあがらせてくれてありがとう。放浪への思いに火がつきました。」

71歳の父は、まだ旅を続けるようだ。僕も、きっと君もそうだろう。思い通りにいかなくて、自分の小ささを思い知る。そんな場面が、これから数え切れないほど訪れるのだろう。

それでも、歯固めに猛進していくように、初めての離乳食に挑むように、恐れず歩めばいい。転がりすぎることもあれば、渋い味がすることもある。近くに見えたバナナへ、手が届かないこともある。そこから旅が始まる。しばらく落ち込んだ後に、また手を伸ばそう。届かなければ、一緒に悩んで考えよう。机にも裏側の凸凹があるみたいに、ルートは一つだけではない。

君が頭を動かして、新しい角度を見つけた瞬間。首が座って、縦の景色を目にした瞬間。あるいはくるりと寝返った瞬間、右足で少し前に進んだ瞬間。君は驚いて、確かに笑った。そんな光景を僕は覚えていたいし、大きくなった君にも伝えたい。

禿げた後頭部は、旅の勲章だ。


お知らせ:
こちらのnoteが元になった書籍が、小学館から発売されました。『1歳の君とバナナへ』というタイトルで、一年間の育休をとって子どもと過ごした日々を収録しています。
このnoteと同じように、全文が子ども(君)に向けた手紙になっています。よければぜひ読んでみてください。

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