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現代詩と音楽性

「現代詩」「音楽性」とググってみると、このnoteの私の記事が真っ先に出て、何番目かに高畑耕治さんの「歌を忘れた現代詩は、詩歌といえるか?」の記事が出てきますが、あとは「現代詩の音楽性」について、或いは「現代詩の音楽性の欠如」について真ともに、真面目に書いた文章がほとんど出てこないところに「現代詩の病状」が端的に現れているように思います。高畑耕治さん指摘の「歌を忘れた現代詩」の、「末期症状」とも言うべき現状に驚くばかりです。

9月に文芸社から上梓しました「自由韻文詩の世界-現代自由詩の再興-」で、「詩の音楽性」こそが現代詩再興の鍵であることを述べ、「日本詩における音楽性の仕組みと、音楽性豊かな現代自由詩の創作法」を具体的に提案していますので、是非読んでみて下さい。大手書店の「文芸社コーナー」においてあれば先ずは立ち読みで結構ですし、献呈本枠も未だ少し残っていますのでこのブログから送り先をご連絡頂ければ、送料もこちら持ちで無料プレゼントさせて頂きます。

しかし既に献本させて頂いた方々からは、「考えさせられた」「共感する」「よくぞ書いた」「新しい視座を提示した」等々の好意的な反響も頂きましたので、多くの皆さん方もやはり「現代詩の音楽性の欠如」についての問題意識を共有されていることに少し安堵しています。

「詩」は「言葉」であり、「言葉」には「表音」と「表意」の両輪があるのに、「表意」の一輪だけでは「効果的に魂を歌う」ことは出来ません。
高畑耕治さんのご指摘の通り「忘れた歌を思い出す」ことこそが、自らの詩心を存分に表現する方法であり、ひいては現代詩再興の道だろうと思います。



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