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日本詩の芸術性と音楽性(10)-若い詩人の皆さんへ「自由韻文詩のすすめ」-

定型詩でも散文詩でもない「自由な音楽性を持つ詩」を「自由韻文詩」と呼んでその構造(つまり創作法)を一つのシンプルな基本式として提案します。(全10回)
  
  日本詩の芸術性と音楽性(10)最終回
 

【現代口語自由韻文詩の実例】長詩一編

  「悔恨」

陰惨な時のいばらの眠りにつく夜
私の魂は地上を飛び立ち
果てしない天空へと憧れて羽搏はばた

自然を舞い立ち 暗黒を超え
哀しい銀河にその羽音はねおとを響かせて
私は飛翔
私は飛翔
・・・
・・・

私は彼方に光を見つけた
私は彼方に偉大な眼を見た

無限の石像の広がりの中に
琥珀に輝く偉大な一つの瞳であった
その眼が永遠を見詰めている
その眼が栄光を凝視している

しかし 私はその眼に戦慄を覚えた
輝くその眼が
私のどす黒いこの血を凍り付かせた

光は私の 底知れない恐怖のやいばであったのだ

そのくるめきに慄きながら
私は飛翔んだ 再び飛翔んだ
はるかな暗闇を目指して飛翔んだ
・・・
・・・

そこは女の乳房ちぶさであった
女神が黄昏たそがれささやきを奏でる
艶めかしくも 優しく美しい薔薇色ばらいろの世界
その女神の柔らかな乳房であった
   
しなやかに息づき悩ましくうねり
天上の匂いに漂いながら
私はそこに涅槃を思った
私はそこに久遠を感じた
・・・

しかしそこにも
恐怖の目玉は厭らしく覗いた

私は女神のを見たのだ

あの永遠をかたる忌まわしい作り物が
私の愛しい 涅槃の幻影であったのか

地上の嫌悪に歯噛みしながら
私は 孤独の旅へとまた羽搏いた
・・・
・・・

辿り着いたのは幼児の王国
真っ白い心と無垢のひとみ
清らかな幼児の王国であった

私の魂が 傷付き重たい翼を休めた時
幼児たちの清らかなひとみ
私のただれたこの目を一斉に見つけた
その澄んで輝く幼児の眼、幼児の眼、幼児の眼、幼児の眼
愛らしくも無邪気な輝きの中から
残忍にもまさぐる視線であった

それは 恐れも悲しみも知らない者の
無慈悲で好奇の 冷酷な一瞥いちべつであったのだ

視線は私を 屈辱の奈落に引き摺り落とした
私はその眼に 狂おしいほどに嘔吐した

私は逃げた 私は逃げた
またしても私は逃げ出したのだ

もはや 希望の翼は無惨にも折れ果て
永劫の落差を急転直下
地獄への転落を悲しく急いだ
・・・
・・・

そこは死霊の舌先であった
妖しい紫色むらさきに美しくうごめ
悩ましくも不気味な死霊の舌先
その冷たく絡みつく舌先であった

私は藻掻もがいた 私は藻掻もがいた
迫りくる死への恐怖に私は藻掻いた
地獄への恐怖に私は藻掻いた
・・・
・・・
しかしそこには苦痛は無かった
そこには私の 安らぎさえあったのだ

静けさと悦びに満たされながら
私は死霊ののど深く吞まれた

私の罪過はそこで粉々に嚙み砕かれるのだ

死霊よ私を
永遠に葬れ


                      【10回了】

今回の稿はこれで終了です。
第1回から通してお付き合い頂いた方は特にお疲れさまでした。
また最後に、特に現代というこの時代の空気に似つかわしくないテーマの自由韻文詩を掲載する事になりましたが、皆さんの感想は如何でしょうか?

現代詩の傾向は単語で表すと、「散文化」「難解」それと「つぶやき」でしょうか。
しかし「詩」、特に「抒情詩」とは本来「散文」の対極にあって、主観的・感情的な詩情を韻文に乗せて歌い上げるものでした。
色々な歴史的経緯があって現在の「散文詩」の時代に辿り着いたという訳ですが、いわゆる「現代詩」についてはほとんど「つぶやき」にしか聞こえてこないのは何故なのでしょうか?

一般的に芸術・文化は時代の鏡だと言われますが、そうであれば日本の「現代」とは感情抑制過多の時代であるのか、それとも感情表現の手段を持たぬが故に「つぶやき」レベルに抑圧されてしまっているのか、恐らく両方が真実であろうと感じています。

「詩で時代の深層を表現して発(あば)き出し、結果として人々の自覚と覚醒を促す」事は大変困難な事ではありますが、少なくとも効率的な感情表現手段を共有する事で「現代人の心に強く響く自由韻文抒情詩を創作して、散文詩の時代を変革したいと考える詩人」の出現の後押しをする事が、残り少ない余生の私自身の宿命・天命と考えています。

今一度、これからを担う若い詩人の皆さんに呼び掛けたいと思います。

「目覚めよ、言葉の芸術家よ 
 歌え、日本詩の音楽家達よ
 呟きをやめて高らかに歌え
 自らの宝石の輝きを信じて」


                        ーではまたー





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