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保育園~小学生の間場面緘黙症だったわたしが無理なく話せるようになった7つの方法

はじめまして、yayoiと申します。

わたしは保育園~小学生の間場面緘黙症でした。
社会人になってから知ったことなのですが、子どもの頃の自分の姿は場面緘黙症だったのではないだろうか。
いや、きっとそうだ!

と思うようになったわけだけど。

社会人になってから数年してから、弟が数冊の書籍を貸してくれました。
その書籍の中で登場する人たちの姿が、わたしの過去の姿に重なったのです。

家では、普通に声が発せるものの、保育園や小学校という場所に行くと
自分の声が発せなくなります。
話したい事はたくさんあるし、声をかけてもらえたら相手と卓球をしているようにポンって返したかった。

でもそれができなかった。
わたしの喉はセメントで固められたまま。

自分では何とかしたいのに、自分を変えることができなかった。

そんなわたしの過去。

極度の緊張から来るのであろう、心因性の頻尿にもなり不登校の時期もありました。

一歩進めたと思ったらまた一歩下がる。
下手したら、一歩進めたと思ったら二歩下がっているなんてこともたくさんありました。

自分なりにいろいろ試したり、挑戦して
社会人になるころには、職場という場所でまったく声が発せないという状況にはならなくなっていましたが

コミュニケーションがうまくいかない
人間関係がうまくいかない
後に心を病んでしまい精神科に通っていた時期もあります。
働いていなかった時期は、自分は社会に必要ない人間であると本気で思っていました。

・普通にすごせなくてごめんなさい
・社会に必要ない人間でごめんなさい
・毎日ごはんを食べてごめんなさい

毎日、毎日同じことをぐるぐる考えて、より深みにはまっていく。
なんで、自分はこんなにダメなんだろう。


そんなわたしですが
今現在は、人とたくさん接する現場でも苦痛に感じることなく
話せることができています。


わたしの過去そして現在までと、わたしの弟に関することはKindleにも綴っております。


緊張することはもちろんたくさんありますが
喉がセメントのように固められた状態にはならず
苦痛に感じることなく
自分の声で気持ちや伝えるべきことを発信することができるようになりました。

今のわたしになるまでに、繰り返し練習(挑戦)してきたこと
このようにすればよかったことなど
を吐き出し

場面緘黙症だったわたしが苦痛なく話せるようになった7つの方法
としてお伝えさせていただきます。

ここからお伝えすることは
講演をする人のようにバリバリ話したい!!

ではなく

自分が思ったことを、自分が話したいタイミングで
むりなく話せるようになった方法
挑戦したり続けてきて変化のあったこと

をお伝えしていきます。

【読んでいただきたい方はこんな人】
✅自分の思いを、無理なく自分の声で伝えられるようになりたい
✅自分が話したいタイミングで話せるようになりたい
✅緊張はするのですが少しでも緊張を和らげて人前で話せるようになりたい
✅うまくなくていい、無理なく話せるようになりたい


【読むことをおすすめしない方はこんな人】
✅演説をする人のようにバリバリ話せるようになりたい
✅なんの苦労もなく話せるようになりたい
✅今の自分を変えるつもりはない


では、この先は
わたし自身がこれまで生きてきた中で

自分が話したいことを自分の言葉で、無理なく話せるようになった方法を順番にお伝えしていきます。

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