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📖子なしが読む 赤毛のアン L.M.モンゴメリ 松本侑子翻訳

「子どもが欲しい」と思えるようになりたい。体の期日が迫っているのか、とうに過ぎているのかすらもわからない。わりに規則正しく腹の内側が剥がれ落ちてくるけれど、異様にヒルのような塊が這い出ることもある。貧血からか吐き気と眩暈で立っていられないことも増えた。おはじきに一筋たゆたうような不正出血は、若い頃から断続的にあってあまり気にも留めずにいた。順調そうに子を抱く友人は、おりものの中にそれを見たことがないらしい。

遺伝子。私の他にも(我が子だから産めない)という人もあるのだと思う。確かに存在することをスマホ越しに認めているのに、出会えたことはない。きっとどこかで私と同じようにひっそりと息を継いでいる。

(今きちんと悩まなければ、のちに対峙しなかったことを悔いるだろう)と、道端の子どもと親と私の心を見つめては想像する努力は続けている。何年悩んだところで、「産みたい」という感情には至れない。子のいる友に、妬みも嫉みもない。純粋に祝って愛でられる。強いて言うなれば、(子どもが欲しいと思える人生を送ってきたのだな)と羨ましく思うことはある。ふと、自分がしだいに透明に重たくなっていることを気が付いた矢先、命を宿した友人が「今ではないご様子ね」と言ってくれた。そう、きっと今ではない。「私は孤独を孕んで生きるのよ」久しぶりに産まない人生を口にすると、油断した隙に風船の紐が手の内をくすぐりながら逃れるように、するすると胸が軽くなって体に色が戻ってきた。反射的に心臓と指先が強く脈打って、かろうじて舞いかけた紐の端をつまんでいる。

子どもと深く同化してしまうことを恐れる私にとって、我が子より養子と暮らす生活の方が良い方向へ想像がはたらく。養子の可能性。アン、マリラ、マシュー、3人のカスバートが決められない私たちを安心させてくれる。夫婦でなくても、死期が近くても、血が繋がらなくても「育める」。

私もきっと「育みたい」と思えたら、眉をひそめたあとにパフスリーブを着せて目を細めるだろう。架空の1ダースの我が子より、その子を愛せるかもしれない。

大人になって読む『赤毛のアン』。特別な事情で子どもを儲けられない私たちを、カスバート兄弟が慰めてくれる。

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